なまこ池(なまこいけ、海鼠池)は、上甑島(甑島列島)の北東海岸沿いに横たわる潟湖である。なまこ池の南東海岸沿いに並ぶ貝池(かいいけ)、鍬崎池(くわざきいけ、かざきいけ)、須口池(すぐちいけ)と合わせて甑四湖(こしきよんこ)と呼ばれる。
歴史
これらの池は数千年前まで海岸線が入り組んだ入江だったが、縄文海進の時期に上甑島北部の断崖が波で侵食され、海流に乗って運ばれてきた礫が砂嘴を形成し、ついには海を区切って海跡湖となった。浜は10cm × 5cm × 厚さ3-4cm程度の礫が積み重なった礫浜であり、やがて海面が降下して砂州が地上に現れ、現在の長目の浜が形成された。第2代薩摩藩主の島津光久が景観を「眺めの浜」と称えたことが名称の由来である[2][3]。
特徴
丸い小石で形成された長さ約2kmの砂州によって東シナ海から分離されているが、石の隙間を通して海水が出入りしており潮の満ち引きに合わせて湖面が上下する。1998年の調査では、なまこ池の塩分濃度は30~34 ‰(パーミル)、貝池は20~29 ‰、鍬崎池は5~9 ‰、須口池は33.3 ‰だった。直接海と通じているわけではなく、礫洲を通じて湖水・海水の交換が行なわれるため、水位の変化は日本の他の汽水湖沼と比べて極めて小さい久。水位の変化はなまこ池で最大23cm、貝池で最大4cmであり、水位変化の周期は2湖で同じである。なまこ池と貝池は細い水路でつながっているが、貝池の方がなまこ池よりも水位が高いため、貝池からなまこ池に池水が流出している事が多いが、風向きによってはなまこ池から貝池へ流出する事もある。
なまこ池
なまこ池は面積0.52 km2、最大水深22mの汽水池であり[5]、湖水面は海の干満に3-4時間遅れて上下する。薩摩藩の時代に大村湾からの搬送中に入れられたとされる海鼠が名称の由来であり、現在も繁殖している。湖岸にはアコヤガイが密生しており、ボラ、キス、シマイサキなどの魚介類が生息する。
貝池
貝池は面積0.16 km2、最大水深11mの汽水池である[5]。上部は流れ込んだ雨水で低濃度の塩水となり、下部は春から夏に侵入した海水が停滞して高濃度の塩水となっている(部分循環湖)。下部の海水層は多量の硫化水素を含んでおり、特別な微生物しか生息できない。水深約5mにある上部と下部の境目には、バルト海沿岸の湖と貝池のみでしか確認されていないクロマチウムという光合成硫黄細菌が濃密に分布し[6]、20cmの厚さの赤紫色の帯が広がっている[7][8]。
鍬崎池
読みは、「くわざきいけ」[9]又は「かざきいけ」[10]である。海鼠池・貝池とは独立した湖で,表面積は0.14km2,最大水深は5.9mである[5]。塩分濃度は、5~9 ‰(0.5~0.9パーセント)であり、淡水に近い。
参考文献
- 上甑村郷土誌編集委員会編 『上甑村郷土誌』 上甑村、1980年
- 菅田正昭編『日本の島事典』三交社、1995年
- 『島嶼大事典』日外アソシエーツ、1991年
- 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
- 藤岡謙二郎, 西村睦男, 浮田典良, 佐々木高明, 桑原公徳, 京都大学甑島学術調査団, 服部信彦, 新田あや, 西田彦一, 大森浅吉, 松野茂, 指宿照久, 山崎俊郎, 船越昭生, 広田修, 玉置哲郎, 島田正彦, 鈴木公『離島の人文地理 : 鹿児島県甑島学術調査報告』大明堂、1964年。doi:10.11501/2984534。 NCID BN06359129。全国書誌番号:64004200。https://dl.ndl.go.jp/pid/2984534/1/1。
- 松山通郎 「上甑島の池沼」 今西錦司・井上靖監修 『日本の湖沼と渓流12 九州・沖縄』 ぎょうせい、1987年、ISBN 4-324-00721-7
- 久保尚子, 沢井祐紀, 鹿島薫「鹿児島県上甑島に分布する沿岸性汽水湖沼群の湖水環境」『Laguna : 汽水域研究』第6巻、島根大学汽水域研究センター、1999年3月、261-271頁、ISSN 2185-2995、CRID 1050845763414072064。
脚注
座標: 北緯31度51分58秒 東経129度52分21秒 / 北緯31.86611度 東経129.87250度 / 31.86611; 129.87250