ふるさと創生事業(ふるさとそうせいじぎょう)とは、1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけての日本で、各市区町村に対し地域振興のために1億円を交付した政策である。正式名称は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」(みずからかんがえみずからおこなうちいきづくりじぎょう)。1億円を交付したので、「ふるさと創生一億円事業」とも言われる。
昭和から平成にかけてのバブル経済の中で行われた政策事業で、竹下登内閣の自治大臣梶山静六が1988年(昭和63年)4月25日に発案した公共事業である[1]。事業内容は地方交付税から交付団体の市町村一律に交付、その使い道について、日本国政府は関与しないとした。
地方公共団体が自ら主導する地域づくりということで、創意工夫し地域の振興を図る動きが各地で試みられた。このうち「ふるさとづくり特別対策事業」は1978年(昭和53年)度当初から企画されていたものであるが、梶山静六が積極的な立場であり、「ふるさと」の名にちなんだ政策にできないかと、注文をつけていたと自治省財政局地方債課の野平匡邦は述べている。
当初は原資は国費であり金額が一律10億円であったが、5月中旬に大蔵省が総理を通じて「一律300万円」と査定を伝え、梶山大臣が「それだったらやらない」と実施を断念した。その後、当時の自治省財政局長津田正が「一律一億円ならば地方交付税で対応が可能である」との打開案を提示した。国税の増収が大きければ地方交付税の増収も大きくなり、当時補正予算での地方交付税の増額計上が可能となった事情があった。この増額分を財源に当てようとの案である[1]。よって地方交付税の形で支給されたため、地方交付税の不交付団体には支給されなかった。不交付団体は自由に使える財源が既にあるので、新たに交付する必要はない、ということである[2]。また、地方交付税は地方交付税法第3条により、その使い道について条件をつけるのは禁止されているのに「ふるさと創生」のために交付するのは問題なのではという指摘がある[3][4]。このため使い道は自由としていた。
1億円を受け取った各自治体は、地域の活性化などを目的に観光整備などへ積極的に投資し、経済の活性化を促進した。また、無計画に箱物行政やモニュメントの建設・製作に費やしたりと、無駄遣いの典型として揶揄されることも多かった。一方で使い道に困った自治体の中には、基金や補助金として活用することを選択するところも多かった。
1990年(平成2年)10月に自治省が行った最終報告では、1自治体当たり平均3.3件の事業を手掛け、このうち人材育成などの「ソフト事業」が建物建設などの「ハード事業」の約2倍余りに上ったという分析が出された[5]。しかしその後、政府(旧・自治省、現・総務省)自らによる、この事業に関する検証(経済効果測定を含む)はなされていない。
これらのことに関して、自治省財政局地方債課の野平匡邦は、地域社会計画センターでのヒアリングの際に、仮に酒を飲んでしまっても、経理の問題にすぎず、悪いことではない、という考えを述べている。そして、地方交付税の使途として単位費用の観点から特定性が無いという観点の下「『何でも使ってください。その代わりいい事業をやったところは評価されるでしょうし、ろくなことをやらなかったところは笑われるでしょうね』という以外には、自治省としては言いようが無い」と自治省の立場からのコメントを寄せて「ただせっかくみんなに1億配っているから『大いに議論して楽しんでください』とお願いしているだけです」と、続けて締めくくっている[6]。
初代地方創生大臣を務めた石破茂は、著書『日本列島創生論』(2017年4月 新潮社)の中で、竹下登に無駄遣いではないかと尋ねたところ「石破、それは違うんだわね。これによってその地域の知恵と力がわかるんだわね」と明かされ、実施の理由に関する秘話を紹介している[7]。