『イフ』の創刊号(1952年3月号)は、同年1月7日に発売となった。巻頭作品はハワード・ブラウンの"Twelve Times Zero"というSF仕立ての殺人ミステリであった。他に作品を載せたのはレイモンド・A・パーマー、リチャード・S・シェイヴァー、ログ・フィリップスといったジフ=デイヴィス社[注 1](Ziff-Davis)の雑誌の常連作家たちであった[4]。ブラウンは当時の一流SF雑誌『アメージング・ストーリーズ』(ジフ=デイヴィス社)の編集長であった。初代編集長ポール・フェアマンはジフ=デイヴィス社の常連作家たちとは近しい間柄で、個人的な好みから彼らを重用したが、このことは雑誌を上手く運営するにはマイナスであった。フェアマン時代には小説や社説に加えてお便り欄、ウィルスン・タッカーによる人物紹介コーナー、科学関係のニュース、イギリスの著名なSFファンであるケン・スレイターの論説、SF番組"Tales of Tomorrow"の紹介が掲載された。
ポールは、毎号に必ず新人作家の作品を載せることをポリシーとしていた。その最初が9月号のジョゼフ・L・グリーン"Once Around Arcturus"で、これは異なる惑星に暮らす男女間の求愛を扱う作品であった。1962年から65年の間、『イフ』誌の新人発掘枠からデビューした作家の中にはアレクセイ・パンシンのように有名作家になった者もいる。際立って有名なのは64年12月号に「いちばん寒い場所」を引っさげて登場したラリー・ニーヴンであろう[13]。ガードナー・ドゾワも『イフ』の新人発掘枠の出身者である。異星人にとり憑かれた人間を描いた彼の作品、"The Empty Man"は1966年9月号に掲載された。火星の見捨てられた植民団を描く、ジーン・ウルフの"Mountains Like Mice"は66年5月号の掲載である(厳密にはこれは処女作ではなく、ウルフは65年に別の雑誌からデビューしている)。[14]
1960年代の『イフ』のカバー画は、典型的なアクション指向であり、怪物や宇宙人が描かれた。ポールが採用した作品のいくつかは若年読者に狙いを定めたものであった。例えば1966年に始まったブリッシュの"The Hour Before Earthrise"というシリーズは、10代の天才とそのガールフレンドが反重力発生装置のせいで火星に立ち往生する物語である[13]。SF史研究家マイク・アシュリーの分析によれば、『イフ』誌は60年代の人気TVドラマ(『ドクター・フー』や『宇宙大作戦』)からSFに入った新世代の読者層を捕らえようとしていたのである。『イフ』は気さくな雰囲気のお便り欄も維持しており、他の雑誌に比べればファン主体の議論が展開されていた。そして1966年から68年の期間はリン・カーターによるコラムが読者にSFファンダムの多様な側面を紹介した。これらの記事もまた、どちらかと言えば若年層にアピールするものであった[11]。
Ashley, Mike (2005). Transformations: The Story of the Science Fiction Magazines from 1950 to 1970. Liverpool: Liverpool University Press. ISBN 0-85323-779-4.
Robinson, Frank M. (1999). Science Fiction of the 20th Century: An Illustrated History. New York: Barnes & Noble. ISBN 0-7607-6572-3.
Tuck, Donald H. (1982). The Encyclopedia of Science Fiction and Fantasy: Volume 3. Chicago: Advent: Publishers, Inc.. ISBN 0-911682-26-0.
Nicholls, Peter (1979). The Encyclopedia of Science Fiction. St Albans: Granada Publishing. ISBN 0-586-05380-8.