ガルマーもしくはギャルマー・エンジニアリング(Galmer Engineering)は、アラン・マーテンスによって、1988年11月に設立された米国市場に向けたエンジニアリングサービスファーム[1]。
概要
1991年には、空力エンジニアのアンディ・ブラウンも合流し、英国モータースポーツバレーの震源地にあたるビスター(Bicester)で米国市場向けのガルマーG92の設計・製造をする。
マーチ・エンジニアリングの倒産の危機に際して、マーチのトップデザイナー[2]であったマーテンスと、CARTチームのオーナーであるリック・ガレスによって設立された[3]。
同社は、ガレスの所有する、ガレス・レーシング(英語版)(後のガレスクラコ(Galles-Kraco Racing))に研究開発を提供する施設として設立された (Galmerは、Galles+Mertensに由来する)。
1990年、ガルマーはガレスクラコをPPGインディカー世界選手権のタイトルに導くことに成功し、ガルマーが開発し、マーテンスが設計し、その後わずか6年間で21レースに勝利した。
1991年にガルマーはプロトタイプのインディカーを製造し、翌1992年、ダニー・サリバンはロングビーチでGalmer G92を勝利に導き、アル・アンサーJr.はインディアナポリス500で勝利に導いた。
このプログラムは期待されていたほど成功せず、1993年には中止されたが、Galmer G93の設計は用意されていた。
1993年シーズン終了後、ガレスは会社の株式をパックウェスト・レーシングのブルース・マッコウに売却した。
以降5年間、ガルマーはパックウェスト・チームのR&Dを担当した。
1998年11月、マッコウは彼の持株をプロドライブに売却した[3]。
パックウェスト・レーシングのチーム創設メンバー兼チーフエンジニアのアンディ・ブラウンは、1991年、ガルマーに加わり、アラン・マーテンスの副テクニカルディレクターを勤めていた空力系のデザイナーで、1984年から1990年の終わりまでマーチに所属し、最後の3年間は、レースエンジニアとしてレイトンハウス・マーチ・レーシング・チームに所属し、ブラックリーの古いマーチ風洞で、エイドリアン・ニューウェイと仕事をした。
戦績
出典