ゲーザ2世 (II. Géza, 1130年 - 1162年5月31日)は、ハンガリー王及びクロアチア王(在位:1141年 - 1162年)。
生涯
1141年、父ベーラ2世が亡くなってわずか3日後に即位したが、幼少のため母イロナが摂政を務めた。1156年、東ローマ皇帝マヌエル1世が差し向けたアンドロニコス・コントステファノス率いる討伐軍に敗北し、息子であるベーラ3世を人質に差し出して東ローマの宗主権を認めることになった。この現状を打開するため、神聖ローマ帝国と結ぼうとしたが、結局死ぬまで東ローマの介入に苦しめられた。
子女
1146年、キエフ大公ムスチスラフ1世の娘エウフロシネと結婚した。以下の子をもうけている。
- イシュトヴァーン3世(1147年 - 1172年) - ハンガリー王(1162年 - 1172年)
- ベーラ3世(1148年 - 1196年) - ハンガリー王(1172年 - 1196年)
- エルジェーベト(1149年 - 1189年以降) - 1147年にボヘミア公ベドジフ(チェコ語版)と結婚
- ゲーザ(1150年 - 1210年以降)
- オドラ(生没年不詳) - ボヘミア公スヴァトプルクと結婚
- イロナ(1158年 - 1199年) - 1172年にオーストリア公レオポルト5世と結婚
- マルギト(1162年生 - 1208年)