ジャフナ国際空港 (ジャフナこくさいくうこう、タミル語 : யாழ்ப்பாணம் விமான நிலையம் 、シンハラ語 : යාපනය ගුවන්තොටුපළ 、英語 : Jaffna International Airport )は、スリランカ民主社会主義共和国 北部州 ジャフナ県 パラリ (英語版 ) に位置する国際空港 である[ 2] [ 3] 。北部州の州都ジャフナ から北に約16kmの距離にあり、パラリ空港 (Palaly Airport ) としても知られる。軍民共用空港であり、スリランカ空軍 のパラリ空軍基地 (SLAF Palaly ) が置かれている。1983年 の内戦 勃発以前は、スリランカ第2の国際空港 であった。
歴史
この空港は、イギリス統治下 の第二次世界大戦 中にイギリス空軍 がカンカサントゥレイ (英語版 ) 近郊のパラリに建設した飛行場をその起源とする[ 4] [ 5] 。 第二次世界大戦中から直後にかけて、イギリス空軍のいくつかの飛行隊(第160, 203, 292, 354飛行隊)ならびに水難救助 部隊がこの飛行場に駐屯した[ 6] 。 戦後、軍は飛行場を放棄し、民間航空部門へと移管された[ 5] 。
民間航空機の初飛行は1947年 12月10日のエア・セイロン によるラトゥマラナ空港 初カンカサントゥレイ経由マドラス 行きの便であった[ 7] 。 セイロン (後のスリランカ )の独立後は、首都コロンボ への国内線と南インド への国際線が就航する国際空港 としての役割を担っていた[ 8] 。 しかし、その後のタミル人武装組織の勢力拡大に伴い、民間航空機の運行は停止された[ 8] 。
1976年 になるとスリランカ空軍 の分遣隊 が空港周辺に展開するようになり、ついで1982年 1月には空港はスリランカ空軍の管轄となった[ 5] 。翌1983年 から始まったスリランカ内戦 においては、空港は政府軍 の重要拠点として機能するようになる。1990年代 前半にかけて、空港とその周辺地域はハイ・セキュリティ・ゾーンに指定され、その地域に居住していた全住民が追放された[ 9] [ 10] 。1990年 から1995年 までの期間、このハイ・セキュリティ・ゾーンはジャフナ半島 Valikamam (英語版 ) 地区で、唯一政府軍の支配が及んでいる地域となった。政府軍が1995年にValikamamを奪還して以後は、反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) に陸路が塞がれた状況において、空港はジャフナとそれ以外の地域を繋ぐ生命線として機能する。
1996年 に入り、ライオンエア (英語版 ) が再びジャフナ-コロンボを結ぶ民間航空路線の運行を再開。1998年 3月にはMonara Airlineも同じ路線に就航した[ 11] 。 しかし軍人の搭乗に関してLTTEからの脅迫があり、同年9月16日Monara Airlineはこの路線の運行を停止した[ 12] 。 ライオンエアはその後も運行を続けたものの、9月29日同社のジャフナ空港発ラトゥマラナ空港 行602便 が離陸20分後、マンナール 北方15kmの海域に墜落、乗員乗客55名が死亡する事件が発生する[ 13] [ 14] [ 15] 。602便はLTTEにより撃墜されたものと考えられている[ 16] 。
民間航空機の運行は2002年 、ノルウェー 政府の仲介により政府軍とLTTEが停戦したことを受けて再開された[ 8] 。 2002年6月、 エキスポ・エア(現フィッツ・エア )がジャフナ-コロンボを結ぶ民間航空路線の運行を再開[ 17] [ 18] 。ExpoAirはその後一時運行を停止するも、内戦終結後の2012年 1月には再び運行を再開している[ 19] 。 また2013年 1月4日には新たな旅客ターミナルがオープンした[ 20] [ 21] 。
2019年 7月にはスリランカ政府が同年9月からインドとの国際線の運航を開始することを発表した[ 22] 。
就航路線
旅客便
貨物便
事件、事故
参考文献
外部リンク
空港情報 (ICAO:VCCJ · IATA:JAF)
空港概要 気象情報 その他