Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

ジャフナ国際空港

ジャフナ国際空港
யாழ்ப்பாணம் விமான நிலையம்
යාපනය ගුවන්තොටුපළ

Jaffna International Airport
IATA: JAF - ICAO: VCCJ
概要
国・地域 スリランカの旗 スリランカ民主社会主義共和国
所在地 北部州ジャフナ県パラリ英語版
母都市 ジャフナ
種類 軍民共用
運営者 スリランカ空軍
標高 10 m (33 ft)
座標 北緯9度47分32.40秒 東経80度4分12.30秒 / 北緯9.7923333度 東経80.0700833度 / 9.7923333; 80.0700833座標: 北緯9度47分32.40秒 東経80度4分12.30秒 / 北緯9.7923333度 東経80.0700833度 / 9.7923333; 80.0700833
地図
ジャフナ空港の位置
ジャフナ空港の位置
JAF/VCCJ
ジャフナ空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
05/23 2,305[1]×45 アスファルト
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示

ジャフナ国際空港(ジャフナこくさいくうこう、タミル語: யாழ்ப்பாணம் விமான நிலையம்シンハラ語: යාපනය ගුවන්තොටුපළ英語: Jaffna International Airport)は、スリランカ民主社会主義共和国北部州ジャフナ県パラリ英語版に位置する国際空港である[2][3]。北部州の州都ジャフナから北に約16kmの距離にあり、パラリ空港 (Palaly Airport) としても知られる。軍民共用空港であり、スリランカ空軍パラリ空軍基地 (SLAF Palaly) が置かれている。1983年内戦勃発以前は、スリランカ第2の国際空港であった。

歴史

この空港は、イギリス統治下第二次世界大戦中にイギリス空軍カンカサントゥレイ英語版近郊のパラリに建設した飛行場をその起源とする[4][5]。 第二次世界大戦中から直後にかけて、イギリス空軍のいくつかの飛行隊(第160, 203, 292, 354飛行隊)ならびに水難救助部隊がこの飛行場に駐屯した[6]。 戦後、軍は飛行場を放棄し、民間航空部門へと移管された[5]

民間航空機の初飛行は1947年12月10日のエア・セイロンによるラトゥマラナ空港初カンカサントゥレイ経由マドラス行きの便であった[7]セイロン(後のスリランカ)の独立後は、首都コロンボへの国内線と南インドへの国際線が就航する国際空港としての役割を担っていた[8]。 しかし、その後のタミル人武装組織の勢力拡大に伴い、民間航空機の運行は停止された[8]

1976年になるとスリランカ空軍分遣隊が空港周辺に展開するようになり、ついで1982年1月には空港はスリランカ空軍の管轄となった[5]。翌1983年から始まったスリランカ内戦においては、空港は政府軍の重要拠点として機能するようになる。1990年代前半にかけて、空港とその周辺地域はハイ・セキュリティ・ゾーンに指定され、その地域に居住していた全住民が追放された[9][10]1990年から1995年までの期間、このハイ・セキュリティ・ゾーンはジャフナ半島Valikamam英語版地区で、唯一政府軍の支配が及んでいる地域となった。政府軍が1995年にValikamamを奪還して以後は、反政府勢力タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) に陸路が塞がれた状況において、空港はジャフナとそれ以外の地域を繋ぐ生命線として機能する。

1996年に入り、ライオンエア英語版が再びジャフナ-コロンボを結ぶ民間航空路線の運行を再開。1998年3月にはMonara Airlineも同じ路線に就航した[11]。 しかし軍人の搭乗に関してLTTEからの脅迫があり、同年9月16日Monara Airlineはこの路線の運行を停止した[12]。 ライオンエアはその後も運行を続けたものの、9月29日同社のジャフナ空港発ラトゥマラナ空港602便が離陸20分後、マンナール北方15kmの海域に墜落、乗員乗客55名が死亡する事件が発生する[13][14][15]。602便はLTTEにより撃墜されたものと考えられている[16]

民間航空機の運行は2002年ノルウェー政府の仲介により政府軍とLTTEが停戦したことを受けて再開された[8]。 2002年6月、 エキスポ・エア(現フィッツ・エア)がジャフナ-コロンボを結ぶ民間航空路線の運行を再開[17][18]。ExpoAirはその後一時運行を停止するも、内戦終結後の2012年1月には再び運行を再開している[19]。 また2013年1月4日には新たな旅客ターミナルがオープンした[20][21]

2019年7月にはスリランカ政府が同年9月からインドとの国際線の運航を開始することを発表した[22]

就航路線

旅客便

航空会社就航地
スリランカの旗 フィッツ・エア ラトゥマラナ空港トリンコマリー空港
スリランカの旗 ヘリツアーズ ラトゥマラナ空港トリンコマリー空港
スリランカの旗 Simplifly バンダラナイケ国際空港ラトゥマラナ空港

貨物便

航空会社就航地
スリランカの旗フィッツ・エア ラトゥマラナ空港
スリランカの旗 ランカン・カーゴ英語版 ラトゥマラナ空港

事件、事故

参考文献

  1. ^ Jaffna International Airport”. Airport and Aviation Services (Sri Lanka) (Private) Limited.. 2022年2月22日閲覧。
  2. ^ VCCJ KANKESANTURAI / Jaffna” (英語). Aeronautical Information Services of Sri Lanka, Airport & Aviation Services. 2013年12月8日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ JAF - Airport” (英語). Great Circle Mapper. 2019年8月18日閲覧。
  4. ^ “Jaffna, Sri Lanka”. Ceylon Today. (4 November 2012). http://www.ceylontoday.lk/16286-print.html 
  5. ^ a b c History of Air Force Palaly” (英語). スリランカ空軍. 11 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月8日閲覧。
  6. ^ Stations-K” (英語). www.rafweb.org. 2019年8月18日閲覧。
  7. ^ Thiedeman, Roger (7 December 1997). “A foundation in the sky: Air Ceylon was born 50 years ago” (英語). The Sunday Times. http://www.sundaytimes.lk/971207/plus10.html 2019年8月18日閲覧。 
  8. ^ a b c Gunawardena, Charles A. (2005). Encyclopedia of Sri Lanka. Sterling Publishers. p. 10. ISBN 1932705481. https://books.google.co.jp/books?id=hWLQSMPddikC&redir_esc=y&hl=ja 
  9. ^ Jeyaraj, D. B. S. (18 January 2003). “High-stakes zones”. Frontline 20 (2). http://www.frontline.in/navigation/?type=static&page=flonnet&rdurl=fl2002/stories/20030131080202600.htm. 
  10. ^ Asia Report No. 220 - Sri Lanka’s North II: Rebuilding under the Military”. 国際危機グループ. p. 21 (2012年3月16日). 2013年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月8日閲覧。
  11. ^ “First flight fiasco” (英語). TamilNet. (2 March 1998). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=1034 2019年8月18日閲覧。 
  12. ^ “Jaffna airline offices close” (英語). TamilNet. (16 September 1998). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=2044 2019年8月18日閲覧。 
  13. ^ “Lion Air flight said missing” (英語). TamilNet. (29 September 1998). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=2115 2019年8月18日閲覧。 
  14. ^ “Fishermen say witnessed crash” (英語). TamilNet. (30 September 1998). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=2120 2019年8月18日閲覧。 
  15. ^ “Shattered dreams behind Lion Air mystery” (英語). The Sunday Times. (4 October 1998). http://www.sundaytimes.lk/981004/spec.html 2019年8月18日閲覧。 
  16. ^ Information Bulletin No 19 - Lion air Flight 602 From Jaffna: Crossing The Bar Into The Twilight of Silence” (英語). University Teachers for Human Rights (16 October 1998). 2019年8月18日閲覧。
  17. ^ “Jaffna in just over 1 hour with ExpoAir Jaffna in just over 1 hour with ExpoAir” (英語). adaderana.lk. (26 January 2012). http://www.adaderana.lk/biznews.php?nid=157 2019年8月18日閲覧。 
  18. ^ “Soaring demand for flights to Jaffna” (英語). TamilNet. (10 August 2002). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=7266 2019年8月18日閲覧。 
  19. ^ “ExpoAir flies to Jaffna” (英語). The Island. (24 January 2012). http://www.island.lk/index.php?page_cat=article-details&page=article-details&code_title=43848 2019年8月18日閲覧。 
  20. ^ “New passenger terminal for Palaly” (英語). Ceylon Today. (5 January 2013). http://www.ceylontoday.lk/51-21173-news-detail-new-passenger-terminal-for-palaly.html 
  21. ^ “New Passenger Terminal at Palaly Airport” (英語). Daily FT. (7 January 2013). http://www.ft.lk/2013/01/07/new-passenger-terminal-at-palaly-airport/ 
  22. ^ Sri Lanka to begin regional flights to northern airport from September - Xinhua | English.news.cn” (英語). 新華社 (2019年7月30日). 2019年8月18日閲覧。

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya