ジョン・トーマス・ドレーパー (John Thomas Draper、1943年 3月11日 - )は、アメリカ合衆国 のプログラマ である。かつては電話のフリーキング で名を馳せ、その際に朝食用シリアル「キャプテン・クランチ (英語版 ) 」のおまけの笛を使用したことからキャプテン・クランチ(あるいはクランチ、クランチマン)の愛称がある。
プログラミング の世界やハッカー (英語版 ) 、コンピュータセキュリティ に関するコミュニティ内で広く知られた人物であり、一般的にはノマドワーカー 的なライフスタイルを送っている[ 1] 。
若年期
ドレーパーはアメリカ空軍 のエンジニアの息子である。子供の頃、彼は廃棄された軍用の部品から無線機を作った[ 2] 。学校では頻繁にいじめを受け、一時は精神的な治療を受けた[ 3] 。
大学卒業後、1964年にアメリカ空軍に入隊した。アラスカ に駐留していたとき、彼は地元の電話局の交換機 にアクセスして、部隊の仲間が家に無料で電話をかけられるようにした。1967年、メイン州 のチャールストン空軍基地 (英語版 ) に駐留していたとき、彼は近くのドーバー・フォックスクロフト で海賊ラジオ局 、WKOSを開局した。
1968年に空軍の一等兵として名誉除隊した[ 3] 。シリコンバレー に移り、ナショナル セミコンダクター 社で技術者として働き、またヒューグルインターナショナル社でコードレス電話 の初期設計に携わった。また、1972年までディアンザカレッジ で非常勤講師をしていた[ 4] 。
この間、カリフォルニア州 クパチーノ のラジオ局・KKUPでエンジニアやディスクジョッキー としても活動しており[ 5] 、長髪にしたりマリファナ を吸ったりするなど、当時のカウンターカルチャー 的なスタイルを取り入れていた[ 3] 。
キャリア
フリーキング
「キャプテン・クランチ」のおまけの笛
海賊ラジオの送信機を試験している間、どれくらいの範囲まで電波が届くのかを確かめるために、自分の家の電話番号を放送した。デニス・テリー (英語版 ) ことデニス・テレシからの電話[ 6] は、ドレーパーを「電話フリーク」(phone phreak)たちの世界に引き込んだ。電話フリークとは、電話網を研究し、実験する人々のことで、時々知識を利用して無料で電話をかけていた(これをフリーキング という)。テレシと他の何人かの電話フリークは盲目だった。ドレーパーの電子設計の知識を知り、彼らはドレーパーに、電話網を制御するために使われる特定の周波数の音を発する装置である多周波トーン・ジェネレーター、通称ブルーボックス (英語版 ) の作成を依頼した。このグループは以前、オルガン で出した音を録音したものを使ってフリーキングを行っていた。電話フリークの中のジョイバブルス (英語版 ) と名乗っていた盲目の少年は、絶対音感 を持ち、周波数を正確に識別することができた[ 7] 。
ドレーパーは、朝食用シリアル「キャプテン・クランチ (英語版 ) 」についてくるおまけの笛が、正確に2600ヘルツ (英語版 ) の音を出すことを知った。この周波数は、AT&T の長距離回線が新しい通話をルーティングするためにトランク回線 が使用可能であることを示すために使用されていた周波数と同じである[ 8] 。この周波数の音を受信すると、トランクの一方の端を切断し、まだ接続されている側はオペレータモードに入った。彼らが悪用したこの脆弱性は、帯域内信号方式 (英語版 ) を使用する電話交換機でしか使えなかった。1980年に共通線信号No.7 が導入されてからは、アメリカのほとんどの電話回線が帯域外制御となった。この変更により、おもちゃの笛やブルーボックスは、フリーキング目的では役に立たなくなってしまった。ハッカー雑誌『2600 』は、この笛の周波数に因んで命名されたものである[ 9] 。
『エスクァイア』誌のインタビュー
1971年、ジャーナリストのロン・ローゼンバウム (英語版 ) がフリーキングについて『エスクァイア 』誌に寄稿した[ 10] 。その記事は、ドレーパーとのインタビューを中心に構成されており、この記事をきっかけに、ドレーパーはカウンターカルチャー に興味を持つ人々の間で、ある種の有名人としての地位につくことになった。
ローゼンバウムがドレーパーに電話をかけ、電話フリークについてインタビューをしたい旨を伝えたとき、ドレーパーは、インタビューを受けることについて相反する感情を持ったが、すぐさま、自身のエートス を説明した。
そんなことはしていない。もう全くしていない。もしやるとしたら、たった一つの理由のためにやる。私はシステムについて学んでいる。電話会社はシステムだ。コンピュータはシステムだ。わかる? 私がやっていることは、システムを探求するためだけなのだ。コンピュータ。システム。それが私の専門なんだ。電話会社はコンピュータ以外の何物でもない。
この記事により、彼は1972年に通話料詐欺の容疑で逮捕され、執行猶予5年の判決を受けた。しかし、この記事はまた、当時カリフォルニア大学バークレー校 の工学部の学生で、後にApple の共同創業者となるスティーブ・ウォズニアック の目に留まった[ 11] 。ウォズニアックは、ブルーボックスの技術の情報交換のためにドレーパーと会った。その場には、ウォズニアックの友人のスティーブ・ジョブズ も同席していた。ウォズニアックとジョブズは後にブルーボックスを販売する小さなビジネスを立ち上げた[ 2] 。
開発者
Apple Computer
1977年、ドレーパーは独立業務請負人 (英語版 ) としてAppleで働き[ 5] 、ウォズニアックからApple II を電話回線に接続する装置の開発を任された。ウォズニアックは、コンピュータが留守番電話 のように機能すると考えていたと後に述べており、当時モデム はまだ広く利用できるものではなかった。ドレーパーは、「チャーリー・ボード」というインターフェイス装置を設計した。これは、多くの企業が使用しているフリーダイヤルの電話番号をダイヤルし、タッチトーンを発することで、それらの企業が使用している長距離定額電話サービス (英語版 ) (WATS)の回線にアクセスできるように設計されていた。理論的には、これにより無制限で無料の長距離電話がかけられるようになる。ウォズニアックはこのエピソードについて、「それは信じられないほどのボードでした。しかし、Appleにはクランチ(ドレーパー)のことを良く思っている人はいませんでした。私だけでした。彼らは彼のデバイスを製品にしようとはしませんでした」と語っている[ 12] 。この技術のいくつかは、後に電話のプッシュボタンで操作するメニューや留守番電話などのサービスに使われることになる[ 2] 。
Easywriter
1976年と1978年に、ドレーパーは通話料詐欺の罪で2回服役した。1979年の3回目の服役中、ドレーパーは、Apple II用の初のワープロソフト であるEasyWriter (英語版 ) を製作した[ 2] 。ドレーパーは後にEasyWriterをIBM PC に移植し、マイクロソフト などの競合他社を抑えてIBMの公式ワープロに選ばれた。ドレーパーはキャプン・ソフトウェア(Capn' Software)というソフトウェア会社を設立したが、6年間で収益は100万ドルに満たなかった。ディストリビューターのビル・ベイカーが、ドレーパーに無断で、他のプログラマーを雇ってEasyWriterの後継プログラムであるEasywriter IIを製作した。ドレーパーは訴訟を起こし、後に示談で解決された[ 2] 。
オーストラリア ・キャンベラ にて(1995年)
オートデスク社ほか
ドレーパーは1986年にオートデスク 社に入社し、共同創業者のジョン・ウォーカー (英語版 ) から直接依頼されてビデオドライバの設計を行った。1987年、ドレーパーは、ベイエリア高速交通鉄道 の乗車券を偽造しようとした罪で起訴された[ 13] 。1988年には、より軽い軽犯罪容疑で訴追され、ディバージョン・プログラム (英語版 ) を受けた。起訴されている間もオートデスク社に籍は残っていたが、これ以降、オートデスク社で働くことはなかった[ 14] 。オートデスク社は1989年にドレーパーを解雇した。
1999年から2004年までドレーパーは、コンピュータセキュリティ会社・ShopIP社の最高技術責任者 (CTO)の職に就いていた[ 15] 。この会社で彼は、OpenBSD で動作するファイアウォール デバイスであるCrunchbox GEを設計した。ウォズニアックからの推薦や、メディアでの宣伝にもかかわらず、この製品は商業的な成功を収めることができなかった[ 16] [ 17] 。
2007年には、メディア配信ツールを開発するソフトウェア会社・En2goのCTOに就任した。同社はそれまでMedusa Style Corp.という名前だった。ドレーパーの同社への関与がいつ終了したのかは不明だが、米国証券取引委員会 への提出書類には、2009年夏に同社の役員数名(ウォズニアックを含む)が辞任したことが記録されている。En2Go社が商業的な成功を収めることはなかった[ 18] [ 19] [ 20] 。
不適切な性的行為の疑惑
2017年、少なくとも4つのハッキングとセキュリティ関連のカンファレンス(DEF CON (英語版 ) 、HOPE (英語版 ) 、ToorCon (英語版 ) など)の主催者は、他の参加者への不適切な性的行為に関する疑惑を受けて、ドレーパーの出席を禁止したと述べた。この疑惑については、BuzzFeed News が2つの記事で報じている[ 21] 。
ドレーパーに対する更なる疑惑が、ニュースサイト『パララックス』による報告で浮上した。その記事によれば、ペンシルバニア大学 の計算機科学の教授のマット・ブレイズ は、1970年代、ブレイズが10代、ドレーパーが30代の頃に、ドレーパーからストーカー 行為を受けたと主張している[ 22] 。
ドレーパーは、デイリー・ドット のインタビューで疑惑のいくつかを否定したが、疑惑の全てに直接言及しなかった。彼は、明示的な性的意図を否定し、それは、自身が提唱者であると主張している代替医療 のアプライドキネシオロジー の技術を採用した「エネルギーワークアウト」であると説明した。ドレーパーは、相手の脚や腕の筋肉のマッサージをしているときに勃起していたかもしれないと認めた[ 23] 。
作家のクレイグ・ウィルソン・フレイザーは、ドレーパーとのワークアウトについて次のように書いている。「私が初めてそれを試したとき、麻薬によって激しくなった私の被害妄想は、それが何かの方法で性的なものになるのではないかと、天井知らずに上昇したが、もちろん、そのような性質のものは何も起こらなかった。」[ 24]
大衆文化において
アーネスト・クライン の小説『ゲームウォーズ 』(映画『レディ・プレイヤー1 』の原作)では、ドレーパーの「キャプテン・クランチ」という別名、それと同じ名前の朝食用シリアル、および笛が、イースターエッグ・ハントの鍵の1つを開ける手がかりとなっている[ 25] 。
1999年のテレビドラマ『バトル・オブ・シリコンバレー 』では、俳優のウェイン・ペレ (英語版 ) がドレーパーを演じた[ 26] 。
2001年に制作されたドキュメンタリー映画『The Secret History of Hacking 』(ハッカーの秘史)は、ドレーパーが主演を務め、ウォズニアックやケビン・ミトニック なども出演している。
脚注
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^ a b Draper, John (August 2008). "Captain Crunch on Apple – An interview with John Draper" . StoriesofApple.net (Interview). Interviewed by Nicola D'Agostino. Pescara , Italy . 2017年12月19日閲覧 。
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