スクランブル (英語 : Scramble )とは、地上待機の要撃戦闘機 が警報を受けて緊急離陸 すること。また戦闘機のほか、哨戒機 、救難機 なども緊急発進を実施することから、これらを指して用いられることもある。
概要
国際民間航空条約 1条は「いずれの国も、その領域 上の空域 に対して、完全かつ排他的な主権を持つ」と定めている。一方で国際民間航空条約は無着陸横断飛行など一部の飛行については領空での自由な飛行を認めている。
国際民間航空条約などの規定に違反して領空を侵犯する航空機に対しては、自国の軍用機によって退去・着陸・航路変更などの措置を講じる必要がある。そこで侵入機の高度にまでいち早く達して相手機の確認を行う必要があり、これを緊急発進(スクランブル)という。
航空管制では緊急発進機(スクランブル機)に対して飛行の優先権が与えられ、上昇方位のみを伝達して発進を許可するのが通例である。
航空自衛隊のスクランブル(対領空侵犯措置)
空自によるスクランブルの対象となったロシア機・中国機の飛行パターン例
アラートの開始に至る経緯
1952年10月頃から、道北 ・道東 部を中心としてソビエト連邦 機の飛来が急激に増加し、10月7日には歯舞群島 付近を飛行中のアメリカ空軍 のB-29 1機がソ連機に撃墜され、11月4日には根室半島 上空でLa-11 戦闘機とF-84戦闘機 による空中戦にまで至った。
当時、日本は既に連合国軍の占領 を脱して主権 を回復し、保安庁 を設置していたものの、領空侵犯 を有効に排除しうる航空戦力 は保有していなかった。1953年1月13日、日本政府は、領空侵犯が発生した場合には在日米軍 の協力を得てこれを排除する措置をとることを決定、また日本側がこれを発表した直後にはアメリカ極東軍 司令部もこれに同調した声明を発表した。極東空軍隷下に編成されていた日本防衛空軍(Japan Air Defense Force, JADF )が防空 の任にあたっており、2月16日には、千歳基地 から発進したアメリカ空軍のF-84戦闘機が根室付近で領空侵犯するソ連のLa-11戦闘機を捕捉、銃撃を加える事件が発生した。
1954年7月1日に航空自衛隊 が発足すると、対領空侵犯措置[ 5] はこちらに引き継がれることになり、自衛隊法 84条にそのための規定が盛り込まれた。ただし戦力の整備がなかなか進まなかったことから、対領空侵犯措置について長官が一般命令を発出したのは1958年2月のことであり、同年4月28日から第2航空団・第3飛行隊のF-86F戦闘機 が昼間の警戒待機(アラート)を開始、5月3日には初のスクランブルを実施した。
当初、待機時間は平日の10時から14時の4時間であったが、人員の充足が進むのに従って待機時間が逐次延長され、12月22日には日の出 30分前から日没 までの昼間待機が実施されるようになった。後にF-86D の配備とともに夜間のアラートも開始され、1964年 10月には航空自衛隊の全航空方面隊において昼夜間待機の態勢が整い、翌年6月、アメリカ空軍は警戒待機を終了した。
警戒待機
航空自衛隊では、下記の7か所の基地で警戒待機を行っている。
それぞれの基地では常時4機の戦闘機とその要員が待機しており、このうち2機は5分待機(発進命令から5分以内で離陸できる態勢)、他の2機は3時間待機をとるのが普通である。5分待機のパイロット は飛行装具を全て装着した状態でスタンバイするのに対し、3時間待機では、保命装備やハーネスを外した飛行服 姿になり、わずかにくつろぐことはできる。アラート勤務は毎朝8時にはじまり、翌日8時に終わる24時間勤務であり、5分待機と3時間待機を6時間ごとに交替する。アラート勤務中のパイロットや整備員は、滑走路近くに設置されたアラート・ハンガー内の待機室に詰めることになるため、この最中は通常の飛行訓練や隊務に従事することはできなくなる。
緊急発進
自衛隊機によって撮影された、日本海を飛行するロシア軍機の写真の例(Tu-95MSおよびSu-35。2023年12月14日)
レーダーサイト や早期警戒機 (AEW)、空中警戒管制機 (AWACS)により探知、捕捉されたレーダーデータは、JADGEシステム により防空指揮所 (DC:三沢・入間 ・春日 ・那覇の4か所)で一元管理される[ 9] 。防衛省では、防空識別圏 (ADIZ)に進入する全ての航空機に対して位置報告と飛行計画の事前提出を求めており[ 注 1] 、これを怠った航空機は自衛隊機によるスクランブル・チェックを受けることになる。
緊急発進が下令された場合、戦闘機に対しては進出形態、方位、飛行高度、エンジンのパワー・セッティング(ミリタリーまたはマキシム )、レーダーサイトとの交信周波数等が指示される。このスクランブル・オーダーに従って戦闘機は15秒間隔で離陸し、3海里の間隔をおいたトレイル隊形を維持しながら上昇したのち、雲上に出たら横に2海里離れたファイティング・ウィングの隊形をとる。
緊急発進した要撃機は、防空指令所の要撃管制官の指示により対象機に接近する[ 9] 。その後、機上レーダで対象機を捕捉してからは、「要撃機の行動」規定に基づいてパイロットが自らの判断で行動することになる。対象機を目視確認(ID)したのち、1番機は約2,000フィート (610 m)まで接近して監視を行い、写真を撮影する。1980年代の時点では、2機のうち1機が白黒写真、他の1機がカラー写真を撮影するのが原則であった。1機が対象機に接近している間は、他の1機は対象機が装備する機関砲の有効射程外の上空で双方を監視し、仮に攻撃を受けた場合は正当防衛行動に移ることになる。
対領空侵犯措置に従事する要撃機の兵装は、同措置の開始以降、基本的には航空機関砲 もしくは空対空ロケット弾 のみであり、ミサイルは搭載していなかった。F-104J の導入後、1968年 から1971年 にかけて一時的にミサイルを搭載した時期もあったが、平時の対領空侵犯措置においてミサイルを使用する状況は想定し難いとして、その後は再び航空機関砲のみの装備に戻っていた。しかしベレンコ中尉亡命事件 が発生した1976年 からソ連機の領空侵犯頻度が急増、また1977年12月には能登半島 沖でKSR-5(AS-6) (英語版 ) 空対地ミサイル 搭載のTu-16爆撃機 が視認されたほか、1980年には超音速のTu-22M も極東方面に配備されるなど、極東ソ連航空部隊の脅威は急速に増大していった。これらの趨勢を受けて、対領空侵犯措置任務に就く要撃機にミサイルを搭載することによって奇襲対処能力を向上させるとともに、領空侵犯機等の行動への抑止効果も発揮することが期待されるようになった。これを受けて、1980年8月から空対空ミサイル の搭載が開始された。
領空侵犯 が生起した場合は警告を行う。従来、領空侵犯が行われた場合でも警告射撃まで行うケースはなかったが、1987年12月9日、領空侵犯して沖縄本島 、更に那覇基地上空まで侵入したTu-16偵察機に対して、緊急発進したF-4EJ戦闘機 により、史上初の警告射撃が行われた(対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件 )[ 注 2] 。また2024年9月23日には、北海道礼文島 沖で3度にわたって領空侵犯を行なったロシア軍のIl-38哨戒機 に対し、F-15J およびF-35A 戦闘機がスクランブル発進し、フレア を使用しての警告が行われた[ 14] 。
なお「要撃機の行動」規定では、要撃機が射撃する際の根拠は刑法第36 ・37条 (正当防衛 ・緊急避難 )とされている[ 注 3] 。このため、JADFから防空の任を引き継いでいたアメリカ第5空軍の管理運用規則(SOP) と異なり「敵対的偵察機 、機雷 投下作業中の航空機、発砲してこない航空機に対しては攻撃できない」とされており、アメリカ空軍から問題視された。例えば日本の都市を爆撃後にひたすら逃走する爆撃機を要撃機が撃墜した場合、正当防衛が成立しないことから、要撃機のパイロットの行為は刑法 上の殺人罪 および器物損壊罪 が成立することが指摘された。ただし1988年の第112回国会 での答弁では、爆撃機が我が国上空において飛行した際、爆弾倉を開いてまさに爆撃を行おうとしている際は、これを撃墜することも可能であるとされている[ 16] 。また自機や国土に対する正当防衛 ・緊急避難 に該当するような場合、例えばスクランブルの際に2機編成で対処中に1機が攻撃を受けたような場合、もう1機が目標に対して攻撃を加えることは、自衛隊法84条の規定から可能であると解されている。
武器の使用などは各方面航空隊司令官の命令に基づいて行われるが、緊急の場合にはパイロットの判断で使用しても問題ないとするのが政府見解である。
実施状況
緊急発進件数
年度
緊急発進 件数総計
中国
ロシア
北朝鮮
台湾
その他
令和5年度
669回
479回
174回
1回
2回
13回
令和4年度
778回
575回
150回
0回
0回
53回
令和3年度
1004回
722回
266回
0回
3回
13回
令和2年度
725回
458回
258回
0回
0回
9回
令和元年度
947回
675回
268回
0回
0回
4回
平成30年度
999回
638回
343回
0回
0回
18回
平成29年度
904回
500回
390回
0回
3回
11回
平成28年度
1168回
851回
301回
0回
8回
8回
平成27年度
873回
571回
288回
0回
2回
12回
平成26年度
943回
464回
473回
0回
1回
5回
平成25年度
810回
415回
359回
9回
1回
26回
平成24年度
567回
306回
248回
0回
1回
12回
平成23年度
425回
156回
247回
0回
5回
17回
平成22年度
386回
96回
264回
0回
7回
19回
平成21年度
299回
38回
197回
8回
25回
31回
平成20年度
237回
31回
193回
0回
7回
6回
民生支援としてのスクランブル
民間航空機が緊急事態に陥った場合や、大規模災害発生時も戦闘機が緊急発進して情報収集を行なう。偵察機 でないのは、戦闘機が一番早く飛び出せる態勢になっているため。大地震 の場合(最大震度 5弱で対応する)、夜間で「何も見えない」でも、少なくとも火災は起きていないという事が重要な情報になる。被害が確認された場合には続いて(戦闘機以上に観察能力に長けた)偵察機が出る。1985年8月の日本航空123便墜落事故 では、2機のF-4EJ戦闘機が遭難機の捜索を実施し、1989年12月の中国民航機ハイジャック事件 では、F-1支援戦闘機 がハイジャック 機を福岡空港 まで誘導した。
UH-60J救難ヘリコプター とU-125A捜索機 は、24時間体制で救難待機をしている[ 17] 。また、戦闘機部隊および航空救難団 は、大規模災害発生時などには緊急発進をして、被災地の情報収集を実施する。近年では、2016年4月の熊本地震 において、築城基地のF-2 A(第8航空団第6飛行隊 所属)がスクランブルにより情報収集を実施した例がある[ 18] 。
また、輸送機部隊も、緊急輸送待機が24時間体制で維持されている。
脚注
注釈
^ これはあくまで防衛省の行政規則 である訓令 によるものであるため、厳密には防衛省の職員以外に法的拘束力を持つものではない。
^ 国際的には警告射撃は一種の信号であって武器使用ではないと見做されており、侵犯機に脅威感を与える目的で行われる威嚇 射撃とは区別して考えられている。厳密な意味での「武器の使用」は、機関砲やミサイルで敵機を撃墜することである[ 14] 。
^ パイロット個人の権利としての正当防衛ではなく、自衛隊機が撃墜されてその後の任務遂行ができなくなってしまうことを防ぐため、自衛隊法84条を根拠とした武器の使用が許されているという解釈もある。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク