伝説ではケルト族よりも前にアイルランドに住んでいた神族 Tuatha Dé Danann(トゥアハ・デ・ダナーン)がタラの丘を住居としていたとされる。最近の研究から遺跡の一部が新石器時代、5000年ほど前のものであることが分かってきた。捕虜の墓にある通路には毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、これはケルトの祭日と一致する。ケルト族がアイルランドに渡来すると、ミース王がタラの丘から全アイルランドを支配した。最もよく知られている歴史は6世紀まで続いたタラの上王の居住地としてである。王の即位は立石の前で行われた。その繁栄は失われたものの12世紀までこの役割は残されていた。丘陵付近で発見された墓の埋葬者はアイルランドの最後の非キリスト教徒の王であったロイガレ・マク・ニアル Lóegaire mac Néill のものであると考えられている。