ドナルド・R・ケイ(Donald R. Kaye、1938年6月27日-1975年1月31日)は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(『D&D』)ロールプレイングゲームを出版したことで有名なゲーム出版社、タクティカル・スタディーズ・ルールズ(TSR)の共同創設者である。彼は同じくTSRの共同創設者であるゲイリー・ガイギャックスとは子供時代からの友人であり、ミニチュア・ウォーゲームへの興味を共有していた。1972年、ケイは『D&D』で最初のキャラクターの1人である「マーリンド」を作成し[4]、ガイギャックスの「グレイホーク城」キャンペーンでテストプレイを行った。ケイとガイギャックスは『D&D』やそれと同様のゲーム販売が卓越したビジネスチャンスであることを確信し、1973年にタクティカル・スタディーズ・ルールズ(TSR)を共同創設した。しかしそれからたった2年後、『D&D』の売上げが上昇し始めたのとちょうど同時期に、ケイは突然の心臓発作により36歳で亡くなった。
^"United States Social Security Death Index," index, FamilySearch (https://familysearch.org/pal:/MM9.1.1/V9C6-64X : accessed 12 Feb 2013), Donald Kaye, January 1975; citing U.S. Social Security Administration, Death Master File, database (Alexandria, Virginia: National Technical Information Service, ongoing).
^ガイギャックス:「1972年の晩秋のことだった。私は幾つかの城の廃墟と地下階層(1層だけ)に至る道筋の地図を書き上げ、11歳の息子アーニーと9歳の娘エリスを、キャラクターを作って冒険しようと誘った。彼らはこれに乗ってきて、およそ午後9時頃、想像上の勇敢な行為から立ち戻り、索引カードに書いたキャラクターシートを置いてベッドに向かわねばならなかった。2人は素晴らしい時間を過ごしており、冒険の継続を望んでいた。」 “Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 1)”. EN World (2003年7月22日). 2010年3月16日閲覧。
^ガイギャックス:「一両日中にドン・ケイ(マーリンド)、ロブ・クンツ(ロビラー、オットー)、テリー・クンツ(テリック)らが遊び仲間に加わった。」 “Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 8)”. EN World (2006年8月6日). 2009年3月15日閲覧。
^Ralf Toth. “From D&D to AD&D (1966-1976)”. Tome of Treasures. 2012年4月17日閲覧。 - 当時の全ての大手ゲーム出版社に出版を断られた後、ゲイリー・ガイギャックスとドン・ケイは共同出資会社を創立し、それはレイク・ジェニーバにあったケイの自宅の食堂で運営されていた。会社は、彼らの地元ウォーゲーム同好会「レイク・ジェニーバ・タクティカル・スタディーズ・アソシエイション」にちなんで、「タクティカル・スタディーズ・ルールズ」と命名された。ケイはイングランド内戦を扱ったミニチュアゲームである『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を出版するために必要であった1,000ドルを支払った。
^Ciro Alessandro Sacco. “The Ultimate Interview with Gary Gygax”. thekyngdoms.com. 2010年3月23日閲覧。 - ガイギャックス:「ドンと私は可能な限り速やかに『D&D』ゲームを発売することを望んだ。もし我々が軍事ミニチュアルール『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を発売して充分な収益が上がるまで待っていたなら、『D&D』の出版は1975年になっていたことだろう。 」