バナッハ環の恒特異元(permanently singular elements)の概念は位相的零因子(英語版)の概念に一致する。すなわち、バナッハ環 A に対してその拡大バナッハ環 B を考えるとき、A における特異元のうちには適当な拡大バナッハ環 B 内にその乗法的逆元を持つものが存在するが、A の位相的零因子は A の任意のバナッハ拡大 B において恒に特異である。
複素数体上の単位的バナッハ環は、スペクトル論を構成するための一般的な舞台となる。各元 x ∈ A のスペクトル(spectrum)σ(x) は、x − λ⋅1 が A において可逆とならないようなすべての複素スカラーλ の集合である。任意の元 x のスペクトルは、C 内の 0 を中心とする半径 ‖ x ‖ の閉円板に含まれる閉部分集合であり、したがってコンパクトである。さらに、各元 x のスペクトル σ(x) は空ではなく、スペクトル半径公式
を満たす。
x ∈ A が与えられたとき、正則汎関数計算(英語版)によって、σ(x) の近傍で正則な任意の関数 ƒ に対し、ƒ(x) ∈ A を定義することが出来る。さらに、スペクトル写像定理:
が成り立つ[2]。
バナッハ環 A が、複素バナッハ空間 X の有界線型作用素環 L(X)(例えば、正方行列環)ならば、A におけるスペクトルの概念は、作用素論における通常の概念と一致する。コンパクトハウスドルフ空間 X 上で定義された ƒ ∈ C(X) に対して
が確かめられる。
C*-環の正規元 x のノルムは、そのスペクトル半径と一致する。これは正規作用素に対する同様の事実の一般化である。
A を複素単位的バナッハ環で、すべての非ゼロ元 x は可逆であるとする(すなわち、可除多元環)。どの a ∈ A に対しても、a − λ⋅1 が可逆でないような λ ∈ C が存在する(これは a のスペクトルが空ではないことによる)から、a = λ⋅1 となり、この環 A は C に自然同型である。これはゲルファント=マズールの定理の複素数の場合である。
イデアルと指標
A を C 上の単位的「可換」バナッハ環とする。A は単位元を持つ可換環であるため、A の各非可逆元は A の適当な極大イデアルに属す。A 内の極大イデアル は閉であるため、 は体であるようなバナッハ環であり、ゲルファント=マズールの定理から、A のすべての極大イデアルの集合と A から C へのすべての非ゼロな準同型の集合 Δ(A) の間には全単射が存在することが分かる。集合 Δ(A) は A の構造空間(英語版)あるいは指標空間(character space)と呼ばれ、その元は指標(character)と呼ばれる。
指標 χ は A 上の線型汎関数で、乗法的 χ(ab) = χ(a)⋅χ(b) かつ χ(1) = 1 を満たす。指標の核は閉であるような極大イデアルであるため、すべての指標は自動的に A から C への連続写像となる。さらに、指標のノルム(すなわち作用素ノルム)は 1 である。A 上の各点収束の位相(すなわち、A* の弱-∗ 位相より導かれる位相)が備えられることで、指標空間 Δ(A) はコンパクトなハウスドルフ空間となる。
任意の x ∈ A に対し
が成立する。ここで ˆx は x のゲルファント表現(英語版)、すなわち ˆx(χ) = χ(x) で与えられる Δ(A) から C への連続関数である。上述の式において、ˆx のスペクトルは、コンパクト空間 Δ(A) 上の複素連続関数の環 C(Δ(A)) の元としてのスペクトルである。明らかに
が成立する。環として、単位的可換バナッハ環が半単純(すなわち、ジャコブソン根基がゼロ)であるための必要十分条件は、そのゲルファント表現が自明な核を持つことである。そのような環の重要な一例は、可換な C*-環である。実際、A が可換な単位的 C*-環であるなら、ゲルファント表現 A と C(Δ(A)) の間の等長 ∗-同型となる[注釈 4]。
Frank F. Bonsall, John Duncan (1973). Complete Normed Algebras. Springer-Verlag, New York. ISBN0-387-06386-2
H. Garth Dales, Pietro Aeina, Jörg Eschmeier, Kjeld Laursen, George A. Willis (2003). Introduction to Banach Algebras, Operators and Harmonic Analysis. Cambridge University Press. ISBN0-521-53584-0
Richard D. Mosak (1975). Banach algebras. Chicago Lectures in Mathematics. ISBN0-226-54203-3