フランス中央高地 の地図。赤い線内がボジョレーの位置
ボジョレー (仏 : Beaujolais )は、フランス 南東部・リヨン の北に位置する土地で、特にワイン の産地として知られる。ローヌ県 の北、ソーヌ=エ=ロワール県 の南となる。フランス革命 以前、ボジョレーは単独の州 であった。
"Beaujolais " という地名は、かつてのこの地方の中心地であった "Beaujeu "(ボジュー )に由来する。現在の中心地はヴィルフランシュ=シュル=ソーヌ である。
名称
フランス語 発音の国際音声記号 は[boʒɔlε] [ 1] であり「ボジョレ」と発音するのが基本であるが、フランス語では長母音 と短母音 を区別しないため[ 2] 、前後に来る単語との関係から「ボジョレー」「ボージョレ」「ボージョレー」とも発音する。イギリス英語 では[ˈbəʊʒəleɪ] (ボ ウジョレイ)、アメリカ英語 では[ˌboʊʒəˈleɪ] (ボウジョレ イ)と発音する[ 3] 。
日本語 では、ボジョレ 、ボジョレー 、ボージョレ 、ボージョレー との表記がみられる[ 4] 。ただしマスメディア においては、商品名を紹介する場合はその表記を優先するものの、それ以外では新聞各紙が「ボージョレ」、テレビ各局が「ボジョレー」に統一しているようである[ 4] 。
地理
ボジョレーの代表的コミューン
サン・リゴー山
ボジョレーは中央高地 の北東部、丘陵 地域である。東部がソーヌ川 谷に接し、西がロワール川 谷に接する。ボジョレーの標高最高地点は、1009mのサン・リゴー山である。
山地 、丘陵、渓谷 、河岸平野など多様な地形があり、そこから森林 、沼地 、高層湿原 、草原 などの複雑な自然環境が生まれたから、2018年にユネスコ世界ジオパーク に指定される[ 5] 。
歴史
1898年、ボジョレー出身の教師、クローディウス・サヴォワイエが先史時代のボジョレーに関する本を執筆した。
ボジョレーは、9世紀にはリヨネーおよびフォレ伯爵ギヨーム(900年没)が治める男爵領であった。彼が死ぬと男爵領は息子のベラールが継承し、ベラールは初めてのボージュー卿 (sire de Beaujeu) となった。この家系はギシャール5世の死んだ1265年に断絶した。
ギシャール5世の女子相続人イザボーは、フォレ伯爵ルノーと結婚し、彼らの子孫が第2期のボージュー卿家となった。ボージュー男爵領は1400年、エドゥアール2世・ド・ボージューと甥ルイ2世・ド・ブルボン の取り決めによってブルボン家 のものとなった。ルイ2世の子孫ピエール2世 はフランス王女アンヌ・ド・フランス と結婚し、彼女はボージューの貴婦人 (Dame de Beaujou) と呼ばれた。
1522年、ボジョレーはシャルル3世・ド・ブルボン から没収され、フランソワ1世 の母ルイーズ・ド・サヴォワ に与えられた。1531年に王領とされ、1560年にフランソワ2世 によってモンパンシエ公ルイ3世・ド・ブルボン=ヴァンドーム に与えられた。後にルイ3世の曾孫でモンパンシエ公家の女子相続人であったマリー がルイ13世 の弟ガストン・ドルレアン のもとへ1626年に嫁ぐ際、ボジョレーは彼女の持参金の一部となった。マリーは一女アンヌ・マリー (別名のグランド・マドモワゼルの名で知られる)を遺して急逝した。子のなかったアンヌ・マリーは、ルイ14世 の弟フィリップ1世 にボジョレーを遺贈した。
ボジョレーはのちにオルレアン家の持つ儀礼称号(ボジョレー伯)に取り立てられた。ボジョレー伯の称号を持っていた最後の王族は、フランス王ルイ・フィリップ の実弟で1808年に独身のまま死んだルイ・シャルル・ドルレアン (fr ) である。
経済
コニファー を中心とした林業、テキスタイル産業が上げられるが、真っ先にワイン生産地域であることが上げられる。
この地方特産のワインについては、ボジョレーワイン を参照。
脚注
ウィキメディア・コモンズには、
ボジョレー に関連するメディアがあります。