ポルスキ・フィアットの車は、新たに設立されたポーランド系イタリア企業のPolski FIAT S. A.(S. A.は(株)の意)によって販売・アフターサービスが行なわれた。ポルスキ・フィアット最初の車である小型車のPF 508/Iは、イタリア製の組立部品の供給を受けてノックダウン生産されていた。だが、その後の車種(フィアット・トポリーノ等)はポーランド国内で組立部品を調達するようになり、1930年代半ば以降のPZInżは全ての自動車製造を行なうようになった。しかし、第二次世界大戦の勃発を受け、ポルスキ・フィアットはドイツがPZInżの各工場を接収した1939年に消滅した。
他方で、ポーランド政府は小型車であるフィアット・126(Fiat 126)のライセンス製造権も購入し、ライセンス車のポルスキ・フィアット 126pが、1973年から2000年までの間にFSM社[3]の工場で製造された。しかし、一時はFSOとFSMの2社にまたがったポルスキ・フィアットのブランドは、1992年のフィアットのポーランド進出により、FSMがフィアットに買収されたことで消滅した。それ以降のポーランドでは、フィアット社の自動車モデルは、1993年操業開始のフィアット・オート・ポーランド(Fiat Auto Poland)社によって、「フィアット」ブランドで製造・販売されている。