ポルトガルグランプリ
ポルトガルグランプリ(ポルトガルGP, Portuguese Grand Prix)は、ポルトガル国内で行われていたF1グランプリのレースである。
概要
1958年と1960年にポルト(ボアビスタ)で、1959年にモンサントで、1984年から1996年までエストリルで行われた。1996年を最後にF1カレンダーから脱落していたが、後述の理由で2020年にポルティマンのアルガルヴェ・インターナショナル・サーキットでポルトガルGPが復活。翌年の2021年も結果的に開催されることとなったが、2022年以降はF1カレンダーに記載されず、2021年の開催が最後となっている。
主なレース
1961年以降開催が途絶えたポルトガルグランプリは、1984年にエストリルで復活した。エストリルでのポルトガルGPでのあわやという出来事はしばしば注目を集めた。
- 1988年
- レース1周目の終了時にマクラーレンのセナがチームメイトのプロストに対し直線で幅寄せし、2人の確執の始まりを予感させた。
- 1989年
- フェラーリを駆るナイジェル・マンセルがピットインの際にオーバーランし、定位置までリバースギアで逆走する違反を犯した。マンセルはピットインを命ずる黒旗を提示されたがそのまま走行を続け、第1コーナーでセナと接触し、共にストップした。黒旗に従わなかった事とプロストとチャンピオンシップを争っていたセナをリタイアさせた事で、マンセルの行動は論議を呼んだ。マンセルはこのレースを失格とされ、続くスペインGPへの出走を禁じられた。
- 1990年
- ポールポジションを獲得したマンセルは、スタート直後にチームメイトでセナとチャンピオンシップを争っていたプロストに対して幅寄せするような挙動を見せた。予選2位だったプロストは同3位のセナに抜かれ、最終的にマンセルが優勝、セナが2位、プロストは3位となった。マンセルはこの年限りでフェラーリを去ることが確定しており、この幅寄せは物議を醸した。
- 1991年
- レースをリードしていたマンセルは、ピット作業ミスによりピットレーンでタイヤが外れた。タイヤをピットの所定外の場所で取り付け直して出走したために失格となった。
- 1992年
- 決勝レース中、ピットに向かうベルガーに、その直後を走行していたリカルド・パトレーゼが追突した。マシンは上方へと跳ね上げられ、あやうくコース上に架かるブリッジに衝突する寸前だった。激しいクラッシュながら、両者ともに怪我は無かった。レースはマンセルが制し、年間9勝目を達成し当時の年間最多勝及び年間最多ポイント獲得記録(108ポイント)を更新した。
- 1995年
- 決勝のスタート直後に片山右京のマシンが数回転する大クラッシュが発生し、パーツなどが散らばった。片山は病院に運ばれたが一命を取り留めた。また、このレースでデビッド・クルサードがF1初優勝を達成した。
過去の結果と開催サーキット
1951年-1957年及び1964年はスポーツカーレース、1965年-1966年はF3レースとして開催された。
開催されたサーキット
優勝回数
ドライバー
(2勝以上)
コンストラクター
(2勝以上)
回数
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コンストラクター
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優勝年
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7
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フェラーリ
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1951, 1952, 1953, 1954, 1964, 1989, 1990
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6
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ウィリアムズ
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1986, 1991, 1992, 1994, 1995, 1996
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3
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クーパー
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1959, 1960, 1965
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マクラーレン
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1984, 1987, 1988
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2
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マセラティ
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1955, 1957
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メルセデス
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2020, 2021
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エンジン
(2勝以上)
回数
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メーカー
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優勝年
|
7
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フェラーリ
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1951, 1952, 1953, 1954, 1964, 1989, 1990
|
6
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ルノー
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1985, 1991, 1992, 1994, 1995, 1996
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3
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フォード *
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1965, 1966, 1993
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2
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ホンダ
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1986, 1988
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TAG **
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1984, 1987
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クライマックス
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1959, 1960
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マセラティ
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1955, 1957
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メルセデス
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2020, 2021
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脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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2024年に開催されるGP | |
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かつて開催されていたGP | |
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開催に至らなかったGP | |
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