古代ローマでは、将軍が凱旋式のパレードで歓声を浴びている際、将軍の後ろに立つ使用人が「Hominem te memento」(あなたは [不死の神ではなく] いつか死ぬ人間であることを忘れるな)と忠告する文化があった[8]。あるいは、ホラティウスの詩に「カルペ・ディエム」(その日を摘め)すなわち「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ)として、限りある人生の謳歌がうたわれた。古代ローマの酒宴では、同様の謳歌を出席者がうたう文化があり、その際は骸骨の人形(larva convivialis)が卓上に置かれた[9][10]。この骸骨人形はポンペイなどから出土している[9]。ポンペイの出土品には、同様の謳歌を描いたと推定される骸骨のモザイク画もあり、『メメント・モリ』の題で呼ばれている[3][4]。以上の他、マルクス・アウレリウス『自省録』などストア派の書物や、プラトン『パイドン』、聖書の『詩篇』などにも「メメント・モリ」にあたる思想が説かれている[11]。
時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(時は飛ぶ)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨の形で表面にホラティウスの詩の一文が飾られた、大きな懐中時計を持っていた[13]。
文学
イギリスの作品では、トーマス・ブラウンの『Hydriotaphia, Urn Burial』とジェレミー・テイラーの『聖なる生、及び聖なる死』がある。また、トーマス・グレーの『Elegy in a Country Churchyard』やエドワード・ヤングの『Night Thoughts』も、このテーマを扱っている。