ヤガ科 (Noctuidae 、ヤガか、夜蛾科)は、鱗翅目(チョウ目) に属する科 のひとつ。本記事で採用した分類体系 については後述 する。
形態と多様性
鱗翅目の科の中でも最大のものとされ、世界からおよそ35000種[ 3] 、日本からは1300種あまり[ 4] が知られている。ただしこの種数は依拠する分類体系によって上下し、後述する Erebidae 科を認める体系においては、本科は Erebidae科およびシャクガ科 に次ぐ三番目に大きい科となる[ 5] [ 6] 。
成虫の形態は多様である。大きさに関しては開長 が14~16mm程度[ 7] のチビアツバ Luceria fletcheri のような、蛾 の中では比較的小型の種から、開長が最大で280mmにもなる[ 8] ナンベイオオヤガ Thysania agrippina のような非常に大型の種、翅 の色と模様に関しても Agarista agricola や Baorisa hieroglyphica のようにあざやかな色と模様の翅を持つ種、シロガ Chasmina candida やカラスヨトウ Amphipyra livida のように翅がほとんど単色の種、ハナムグリガ Cocytia durvilli や Eucocytia meeki のようにメタリックに輝く種[ 9] 、アケビコノハ Eudocima tyrannus やベニシタバ Catocala electa のように前翅と後翅の色が大きく異なるものまで、さまざま種が含まれる。
幼虫は体表に目立った毛が見られない、あるいは毛や棘がまばらに生えるいわゆるイモムシ 型の種が多いが、たとえばケンモンヤガ亜科やウスベリケンモン亜科の幼虫は二次刺毛 secondary setae [ 10] が発達し、毛が目立つものが多い[ 11] [ 12] 。また、本科の一部には腹脚 が退化し数を減らす傾向が見られる。鱗翅目幼虫の腹脚は最大で五対(腹部末端の腹脚である尾脚を数えない場合は四対)あるが、たとえばキマダラコヤガ亜科の幼虫は前方二対の腹脚を完全に喪失し、キンウワバ亜科やシタバガ亜科の幼虫は前方二対の腹脚を痕跡的 にしか持たない傾向を有する。このような腹脚が退化傾向にある幼虫はセミルーパー(semi-looper)と呼ばれ、前方三対の腹脚が退化するシャクトリムシ (looper)と区別される[ 10] [ 13] [ 14] 。
生態
幼虫は植物 を食べて発育する植食性昆虫 である。食草 として利用する植物の範囲が非常に広いハスモンヨトウ Spodoptera litura のような広食性の種から、限られた種の植物しか食べない狭食性・単食性の種までさまざまである。鱗翅目においては幼虫が同種他個体を摂食する共食い 行動が観察されることがあるが本科も例外ではなく、たとえばオオタバコガ Helicoverpa armigera の四齢幼虫を対象にした野外飼育実験において共食いによる死亡が全死亡率の約40%にも及んだ例がある[ 15] 。
成虫は花蜜 や樹液、果汁などを吸汁する。こちらも種や分類群によって餌とする対象が異なる傾向があると考えられる。また、吸蜜を行う蛾は花粉を媒介する送粉者 としてふるまい得るため、植物種と蛾の分類群(本科を含む)との間に相関関係が存在し、特異性が生じる可能性[ 16] が示唆されるが、いずれも野外における夜間の採餌行動の観察の困難さと種数の多さによって研究はあまり進んでいない[ 17] 。
哺乳類の汗や涙を吸汁する行動は本科を含む鱗翅目の複数のグループにおける観察例があるが、哺乳類からの吸血および鳥類からの涙の吸汁を行うことが知られているのは現在エグリバ亜科とEulepidotinae亜科に属する種のみである。動物の体液を吸汁するこれらの行動は雄成虫のみに見られ、花蜜などからは摂取しにくいナトリウム を摂取し雄の繁殖成功率を高めるためのものである可能性が示唆されているが、特に現状本科にのみ特異的に観察されている後者の行動に関しては観察が困難なこともあり解明が進んでいない[ 18] [ 19] 。
成虫は夜行性の種が多いが、ツメクサガ Heliothis maritima のように昼にも活動する[ 20] 種も知られる。化性 や季節消長も種によって異なり、中には、6月頃に羽化するが翌春まで活動しないという一風変わった季節消長[ 21] で知られるプライヤキリバ Goniocraspidum pryeri などの例もある。
人との関係
代表的な種もあわせて紹介する
農業
植食性の昆虫のため、穀物 や野菜 、果樹 、園芸植物 といった人間が栽培 する植物を餌として利用する(食害 する)種は農業害虫 として扱われる。本科には農業 上重要な害虫とされる種が複数含まれる[ 22] 。
幼虫
幼虫が農業害虫となる種のなかで代表的なものは以下のとおりである。
ハスモンヨトウ S. litura 成虫
成虫
また、成虫が農業害虫として扱われる例もある。成虫が果物から吸汁することで果実を食害する種が好例で、このような生態が知られる種は「吸蛾類」と呼ばれる[ 23] [ 24] 。
吸蛾類の代表的な種や族 は以下のとおりである。
利用
オーストラリア に分布するBogong moth と呼ばれる Agrotis infusa は、数十万頭規模の集団が季節に応じて長距離の渡り を行うことで知られている。オーストラリア南東部のアボリジニ の部族は古くからこの季節消長を認識しており、越夏のために高山の草原地帯に渡る本種の集団に追随し、夏の間本種を主要な食料 としていた[ 25] 。この文化はすくなくとも1600~2000年前には既に存在していたことが考古学 的証拠から示されているが、一方でヨーロッパ 人による植民地化 により19世紀には一旦途絶し、20世紀に入り再開されたことがわかっている[ 26] 。
その他
昆虫採集の対象となる。特に、美麗な後翅を持つカトカラ 属 Catocala は認知度が高い[ 27] 。
分類
本記事では基本的に、岸田 (2011)[ 28] および神保 (2020)[ 4] で採用されている分類体系を採用している。ここではこの体系に基づき、下位分類である亜科 のうち日本で分布が確認されているものを和名 とともに列挙する。
日本に分布するヤガ科の亜科
Erebidae科について
本科の上位分類であるヤガ上科 に関しては、近年の分子系統学 の発展も手伝ってさまざまな分類体系が提唱されている。なかでも本科は議論の的となっており、伝統的に認められてきた亜科の多くに関して単系統性 に疑義が呈されるなどして[ 29] 、近年の本科の下位分類は流動的かつ不安定となっているのが現状である[ 30] 。最近の分類体系を採用するにあたり、本科にとって最も影響の大きい下位分類の変更点はErebidae 科の設置である。たとえばZahiri et al. (2011)[ 29] は分子系統解析に基づき、シタバガ亜科などの複数の亜科の多系統性 を指摘し、Zahiri
(2012)[ 5] では以下の18亜科を Erebidae 科に含めている。
Erebidae 科は日本ではまだ一般的な分類ではなく学名をそのまま用いる場合もあるが[ 27] 、和名として「トモエガ科」を用いる例が散見される[ 31] [ 32] 。ここでは、特記のないかぎり、上述の岸田 (2011)[ 28] および神保 (2020)[ 4] の体系において同名の亜科が認められている場合のみ、和名を併記する。
オオトモエ Erebus ephesperis 成虫
外部リンク
ウィキスピーシーズに
ヤガ科 に関する情報があります。
ウィキメディア・コモンズには、
ヤガ科 に関連するカテゴリがあります。
脚注
注釈
出典
^
Noctuidae Latreille, 1809 in Guala G, Döring M (2020). Integrated Taxonomic Information System (ITIS). National Museum of Natural History, Smithsonian Institution. Checklist dataset https://doi.org/10.15468/rjarmt accessed via GBIF.org on 2021-01-03.
^
Christina Difonzo; Howard Russell (2010). “Noctua pronuba (Lepidoptera: Noctuidae): An Outbreak in Emails” . Journal of Integrated Pest Management 1 (1): B1–B6. doi :10.1603/IPM10005 . https://academic.oup.com/jipm/article/1/1/B1/857218 2021年1月3日 閲覧。 .
^
Gerald M. Fauske: “Family Noctuidae: Owlet moths ” (2002年6月7日). 2021年1月2日 閲覧。
^ a b c
神保宇嗣 (2020年). “List-MJ 日本産蛾類総目録 version 3 ”. 2020年12月23日 閲覧。
^ a b c
Reza Zahiri (2012). Molecular Systematics of Noctuoidea (Insecta, lepidoptera) . ISBN 978-951-29-5015-7 . https://www.utupub.fi/handle/10024/76794 2020年12月26日 閲覧。 .
^
Zhang, Z.-Q., ed (2011-12-23) (英語). Animal biodiversity: An outline of higher-level classification and survey of taxonomic richness . Zootaxa. 3148 . Magnolia Press. p. 217. ISBN 9781869778491 . https://books.google.com/books?id=r3_DVd5DtGEC&pg=PA217
^
“Luceria fletcheri Inoue, 1958 チビアツバ,Cat.4445 ”. 2020年12月26日 閲覧。
^
Kons, Hugo Jr. (17 May 1998). “Chapter 32 — Largest Lepidopteran Wing Span ”. Book of Insect Records . University of Florida. 2020年12月26日 閲覧。
^
岸田泰則 (2000). “ハナムグリガとクマバチモドキ” . やどりが (日本鱗翅学会) 2000 (186): 24-25. doi :10.18984/yadoriga.2000.186_24 . ISSN 0513-417X . NAID 130005985783 . https://doi.org/10.18984/yadoriga.2000.186_10 2021年1月2日 閲覧。 .
^ a b
那須義次 著「3-2. 幼生期の形態」、那須義次、広渡俊哉、吉安裕 編『鱗翅類学入門』東海大学出版部、2016年8月20日。ISBN 978-4-486-02111-7 。
^
“SUBFAMILY ACRONICTINAE ”. Moth of Borneo . Southdene Sdn. Bhd.. 2020年12月26日 閲覧。
^
David L. Wagner; Eric W. Hossler; Fred E. Hossler (2006). “Not a Tiger but a Dagger: The Larva of Comachara cadburyi and Reassignment of the Genus to Acronictinae (Lepidoptera: Noctuidae)” . Annals of the Entomological Society of America 99 (4): 638–647. doi :10.1603/0013-8746(2006)99[638:NATBAD]2.0.CO;2 . https://academic.oup.com/aesa/article/99/4/638/62316 2020年12月26日 閲覧。 .
^
H. beck (2009). “The larval characterization of the Noctuidae sensu Hampson and of the Nolidae sensu stricto, sensu Hampson and its influence on phylogenetical
systematics (Lepidoptera: Noctuidae)”. SHILAP Revta. lepid. 37 (148): 449-461. ISSN 0300-5267 .
^
Byrne, CJ; Moyle, DI (2019年). “The Caterpillar Key Fact Sheet: Noctuidae. ”. The Caterpillar Key . 2020年12月26日 閲覧。
^
J. W. Chapman; Trevor Williams; Ana M. Martínez; Juan Cisneros; Primitivo Caballero; Ronald D. Cave; Dave Goulson (2000). “Does cannibalism in Spodoptera frugiperda (Lepidoptera: Noctuidae) reduce the risk of predation?” . Behavioral Ecology and Sociobiology 48 : 321–327. doi :10.1007/s002650000237 . https://link.springer.com/article/10.1007/s002650000237 2020年12月27日 閲覧。 .
^
Sigrun Bopp; Gerhard Gottsberger (2004). “Importance of Silene latifolia ssp. alba and S. dioica (Caryophyllaceae) as Host Plants of the Parasitic Pollinator Hadena bicruris (Lepidoptera, Noctuidae)” . Oikos 105 (2): 221–228. doi :10.1111/j.0030-1299.2004.12625.x . JSTOR 3548083 . https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.0030-1299.2004.12625.x 2020年12月26日 閲覧。 .
^
池ノ上利幸、金井弘夫「夜間における蛾の訪花活動 」『植物研究雑誌』第85巻第4号、植物研究雑誌編集委員会、2010年、246-260頁、doi :10.51033/jjapbot.85_4_10230 、2024年8月19日 閲覧 。
^
David Plotkin; Jerome Goddard (2013). “Blood, sweat, and tears: a review of the hematophagous, sudophagous, and lachryphagous Lepidoptera” . Journal of Vector Ecology 38 (2): 289-294. doi :10.1111/j.1948-7134.2013.12042.x . https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1948-7134.2013.12042.x 2021年1月1日 閲覧。 .
^
Leandro João Carneiro de Lima Moraes (2019). “Please, more tears: a case of a moth feeding on antbird tears in central Amazonia” . Ecology (e02518) 100 (2). doi :10.1002/ecy.2518 . PMID 30222853 . https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30222853/ 2020年12月27日 閲覧。 .
^
“Heliothis maritima (Graslin, 1855),Cat.3477 maritima adaucta Butler, 1878 ツメクサガ[日本] ”. Digital Moth of Japan . 2020年12月26日 閲覧。
^
“Goniocraspidum pryeri (Leech, 1889) プライヤキリバ,Cat.4268 ”. Digital Moth of Japan . 2020年12月26日 閲覧。
^
“害虫Wiki 野菜編 チョウ目 ”. 害虫Wiki . エフエムシー・ケミカルズ株式会社 (2024年). 2024年8月19日 閲覧。
^
“吸蛾類(果樹/ナシ・モモ・リンゴ・果樹全般) ”. 農作物病害虫データベース . 長野県農業関係試験場. 2020年12月26日 閲覧。
^
“かんきつ 果実吸蛾類 ”. 高知県 病害虫・生理障害台帳 . こうち農業ネット (2012年10月16日). 2024年8月19日 閲覧。
^
Eric Warrant; Barrie Frost; Ken Green; Henrik Mouritsen; David Dreyer; Andrea Adden; Kristina Brauburger; Stanley Heinze (2016). “The Australian Bogong Moth Agrotis infusa: A Long-Distance Nocturnal Navigator” . Frontiers in Behavioral Neuroscience 10 (77). doi :10.3389/fnbeh.2016.00077 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4838632/ 2020年12月26日 閲覧。 .
^
Birgitta Stephenson; Bruno David; Joanna Fresløv; Lee J. Arnold; GunaiKurnai Land and Waters Aboriginal Corporation; Jean-Jacques Delannoy; Fiona Petchey; Chris Urwin et al. (2020). “2000 Year-old Bogong moth (Agrotis infusa) Aboriginal food remains, Australia” . Scientific Reports 10 (22151). doi :10.1038/s41598-020-79307-w . https://www.nature.com/articles/s41598-020-79307-w 2020年12月26日 閲覧。 .
^ a b
阪上洸多; 徳平拓朗; 松尾隆人 (2017). “兵庫県カトカラ図鑑” (PDF). きべりはむし 39 (2): 25-36. https://www.konchukan.net/pdf/kiberihamushi/Vol39_2/kiberihamushi_39_2_25-36.pdf 2020年12月26日 閲覧。 .
^ a b
岸田泰則 編『日本産蛾類標準図鑑2 』学研プラス、2011年4月7日。ISBN 978-4-05-403846-2 。https://hon.gakken.jp/book/1340384600 。
^ a b
Reza Zahiri; Ian J. Kitching; J.Donald Lafontaine; Marko Mutanen; Lauri Kaila; Jeremy D.HollowaY; Niklas Wahlberg (2011). “A new molecular phylogeny offers hope for a stable family level classification of the Noctuoidea (Lepidoptera)” . Zoologica Scripta 40 (2): 158-173. doi :10.1111/j.1463-6409.2010.00459.x . https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1463-6409.2010.00459.x 2020年12月23日 閲覧。 .
^
神保宇嗣 (2008年). “List-MJ 日本産蛾類総目録 ”. 2020年12月23日 閲覧。
^
柳田慶浩, 福田輝彦, 中尾健一郎. “Digital Moths of Asia - トモエガ科 ”. 2020年12月23日 閲覧。
^
綿引大祐、吉松慎一、竹内浩二、大林隆司、永野裕「日本新記録属の新種シマイスノキアツバの小笠原諸島からの記載とそのDNAバーコード情報(トモエガ科,アツバ亜科) 」『蝶と蛾』第68巻第2号、日本鱗翅学会、2017年、53-60頁、doi :10.18984/lepid.68.2_53 、NAID 130006242752 、2020年12月23日 閲覧 。