リムリックFC(英語: Limerick Football Club)は、アイルランドのリムリックをホームタウンとしていたサッカークラブ。
歴史
リムリックFCは1937年に創設された。クラブカラーはリムリックを本拠地とするラグビーユニオンクラブのヤング・マンスターの影響で「琥珀色と黒」が提案されたが、最終的にカーディナルレッドが選ばれた。リーグから撤退したドルフィンFCの代わりに1937-38シーズンからリーグ・オブ・アイルランドに加盟した。[1]
1937年8月22日、ダリーマウント・パークで行われたシティカップ1回戦でシニアデビューを飾り、シャムロック・ローヴァーズに1-0で勝利した。1937-38シーズンのリーグ戦は12チーム中10位に終わったが、マンスター・シニアカップでコーク・ユナイテッドに1-0で勝利し、優勝した。1941年、ウォーターフォードがリーグから撤退すると、リムリックはジャージを白と赤のストライプからウォーターフォードの青に変更した。[2]
1953年11月1日、オリエル・パークで開催されたリーグ・オブ・アイルランドシールド決勝でダンドークに3-2で勝利し、クラブ初の全国タイトルを獲得した。1959-60シーズンは選手兼任のユアン・フェントン監督の下、リーグ・オブ・アイルランド初優勝を果たした。クラブ初の欧州カップ戦となったUEFAチャンピオンズカップ 1960-61はヤングボーイズと対戦した。[3]
1970-71シーズンはFAIカップ決勝でドロヘダに3-0で勝利し、初優勝した。1975-76シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップ決勝でスライゴ・ローヴァーズに勝利し、初優勝した。1975年10月16日に開催された第1戦(4-0で勝利)では少なくとも100人のスライゴ・ローヴァーズのサポーター(フーリガン)が暴動を起こし、リムリックから4人、スライゴから3人の若者が逮捕された。1980年4月20日、リーグ・オブ・アイルランドで2回目の優勝を果たした。[4]
1981-82シーズンはFAIカップ決勝でボヘミアンに1-0で勝利し、2回目の優勝を果たした。リムリックで22年間プレーし、この試合が引退試合となったケヴィン・フィッツパトリックが決勝ゴールを決めた。1983-84シーズンにはシニアチームの所有権をめぐる法廷闘争があり、リムリックのサッカーは8週間停止した。当時リムリック・ユナイテッドの名前で知られていたチームを引き継いだパット・グレース会長はリムリック・シティに改称したが、マイケル・ウェブが率いるグループはチーム名の存続およびマーケッツ・フィールドをホームスタジアムとして使用し続けることを求めた。裁判の結果、リムリック・シティへの改称およびシーズン終了まではマーケッツ・フィールドを使用することが決定した。1989年9月にパット・グレース会長が退任し、1992年にチーム名はリムリックFC、クラブカラーも青に戻った。[5]
1992-93シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップ決勝でSt.パトリックス・アスレティックに勝利し、2回目の優勝を果たした。しかし、次の1993-94シーズンにファーストディビジョンへ降格し、そこで長い期間を過ごすことになった。[6][7][8]
2001-02シーズンはリーグ・オブ・アイルランドカップで3回目の優勝を果たした。2006-07シーズンに欧州サッカー連盟による新しいルールが導入されたことにより、リムリックは2007シーズンのライセンスを取得できなかった。シニアサッカーを継続するために新しい委員会が設立され、リムリック37のチーム名でライセンスを取得した。名前はリムリックがシニアサッカーに参入した1937年に由来する。2008シーズンを5位で終えた後、リムリックFCに改称した。[9]
タイトル
過去の成績
シーズン |
ディビジョン |
順位 |
試 |
勝 |
分 |
敗 |
得 |
失 |
差 |
点 |
FAIカップ |
リーグカップ
|
1993-94 |
プレミアディビジョン |
11位 |
32 |
6 |
11 |
15 |
23 |
50 |
-27 |
29 |
|
|
1994-95 |
ファーストディビジョン |
04位 |
27 |
11 |
10 |
6 |
30 |
22 |
+8 |
43 |
|
|
1995-96 |
ファーストディビジョン |
06位 |
27 |
10 |
6 |
11 |
36 |
34 |
+2 |
36 |
|
|
1996-97 |
ファーストディビジョン |
10位 |
27 |
4 |
8 |
15 |
23 |
55 |
-32 |
20 |
|
|
1997-98 |
ファーストディビジョン |
03位 |
27 |
14 |
8 |
5 |
41 |
25 |
+16 |
50 |
|
|
1998-99 |
ファーストディビジョン |
06位 |
36 |
13 |
13 |
10 |
39 |
35 |
+4 |
52 |
|
|
1999-00 |
ファーストディビジョン |
10位 |
36 |
6 |
11 |
19 |
35 |
58 |
-23 |
29 |
|
|
2000-01 |
ファーストディビジョン |
06位 |
36 |
13 |
11 |
12 |
40 |
39 |
+1 |
50 |
|
|
2001-02 |
ファーストディビジョン |
09位 |
32 |
8 |
7 |
17 |
32 |
54 |
-22 |
31 |
|
優勝
|
2002-03 |
ファーストディビジョン |
10位 |
22 |
6 |
5 |
11 |
26 |
36 |
-10 |
23 |
|
|
2003 |
ファーストディビジョン |
04位 |
33 |
16 |
9 |
8 |
55 |
38 |
+17 |
57 |
|
|
2004 |
ファーストディビジョン |
12位 |
33 |
4 |
8 |
21 |
18 |
55 |
-37 |
20 |
2回戦敗退 |
準決勝敗退
|
2005 |
ファーストディビジョン |
07位 |
36 |
13 |
9 |
14 |
44 |
49 |
-5 |
48 |
2回戦敗退 |
1回戦敗退
|
2006 |
ファーストディビジョン |
05位 |
36 |
14 |
5 |
17 |
38 |
48 |
-10 |
47 |
3回戦敗退 |
準決勝敗退
|
2007 |
ファーストディビジョン |
04位 |
36 |
14 |
11 |
11 |
46 |
41 |
+5 |
53 |
準々決勝敗退 |
1回戦敗退
|
2008 |
ファーストディビジョン |
05位 |
36 |
15 |
7 |
14 |
49 |
45 |
+4 |
52 |
3回戦敗退 |
2回戦敗退
|
2009 |
ファーストディビジョン |
07位 |
33 |
12 |
8 |
13 |
50 |
43 |
+7 |
44 |
3回戦敗退 |
1回戦敗退
|
2010 |
ファーストディビジョン |
05位 |
33 |
17 |
6 |
10 |
55 |
35 |
+20 |
57 |
4回戦敗退 |
準々決勝敗退
|
2011 |
ファーストディビジョン |
04位 |
30 |
20 |
6 |
4 |
49 |
22 |
+27 |
66 |
準々決勝敗退 |
準決勝敗退
|
2012 |
ファーストディビジョン |
01位 |
28 |
20 |
2 |
6 |
50 |
20 |
+30 |
62 |
2回戦敗退 |
準決勝敗退
|
2013 |
プレミアディビジョン |
07位 |
33 |
11 |
9 |
13 |
38 |
46 |
-8 |
42 |
3回戦敗退 |
準々決勝敗退
|
2014 |
プレミアディビジョン |
06位 |
33 |
12 |
5 |
16 |
40 |
41 |
-1 |
41 |
2回戦敗退 |
1回戦敗退
|
2015 |
プレミアディビジョン |
11位 |
33 |
7 |
8 |
18 |
46 |
73 |
-27 |
29 |
2回戦敗退 |
1回戦敗退
|
2016 |
ファーストディビジョン |
01位 |
28 |
24 |
3 |
1 |
86 |
26 |
+60 |
75 |
3回戦敗退 |
準優勝
|
2017 |
プレミアディビジョン |
07位 |
33 |
10 |
10 |
13 |
41 |
51 |
-10 |
40 |
準決勝敗退 |
2回戦敗退
|
2018 |
プレミアディビジョン |
09位 |
36 |
7 |
6 |
23 |
25 |
75 |
-50 |
27 |
準々決勝敗退 |
2回戦敗退
|
2019 |
ファーストディビジョン |
10位 |
27 |
10 |
6 |
11 |
33 |
41 |
-8 |
10 |
2回戦敗退 |
1回戦敗退
|
2020 |
ファーストディビジョン |
0位 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
欧州の成績
歴代監督
歴代所属選手
脚注
外部リンク