レ・ポン=ド=セ (Les Ponts-de-Cé )は、フランス 、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 、メーヌ=エ=ロワール県 のコミューン 。
地理
レ・ポン=ド=セの位置
アンジュー のコミューンで、ロワール川 が横切る。アンジェ を取り巻く人口集塊の南側にあたる[1] 。
由来
言い伝えによれば、ガリア人の攻撃は、作業していた彫刻家を遠ざけることになった。それによって、カエサル(フランス語でCésar)の最後の音節が刻まれなかったという。このようにコミューン名の接尾辞について説明されている[2] 。
古い名前が以下のように残っている。Castro-Seio (889年)、Pon Sigei (1009年)、In Saiaco (1036年)、Saiacus (1090年)、Seium (1104年)、Pons Sagei (1115年)、Pons Sagii (1148年) Pons Saeii (1291年)、Le Pont de Sae (1293年)、Les Ponts de Sée (1529年)[3] 、Les Ponts de Cé (1793年)、Pont-de-Cé (1801年)、その後Les Ponts-de-Cé となった[4] 。
歴史
869年、シャルル2世 は、ロワール川を上り侵攻してくるヴァイキング に対抗するため、レ・ポン=ド=セに要塞橋を築いた[5] 。同様の橋の例として、ウール川 のポン・ド・ラルシュ、マルヌ川のトリルバルドゥがある。
15世紀、ルイ11世 は、この地がアンジュー領内にあったにもかかわらず、しばしばレ・ポン=ド=セに滞在した[6] 。確かにその時代、ブルターニュ 公フランソワ2世 は、公国の独立を維持するため、ブルゴーニュ公シャルル豪胆公 を含むフランス王の敵と同盟していた。王にとって、ポン=ド=セの城は、ブルターニュとの間の人の動きを管理できる理想的な場所だった。この目的のため、1472年8月29日に彼は到着した。7月7日、アンスニ を、7月21日にプアンセを、国境の町を占領され、フランソワ2世は王国を攻撃する意図を捨てなければならなかった[7] 。
1620年8月7日にも、レ・ポン=ド=セの戦いが起きている。ルイ13世 の支持者と、王太后マリー・ド・メディシス の支持者が衝突したものである。当時、親政を開始してから3年が経過していたが、王太后が再び権力を取り戻そうとしていた。同盟者の一部が離脱したため、王太后軍は戦う前にすぐに指揮できなくなってしまった。
人口統計
1962年
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
2008年
2013年
5911
7175
9589
10739
11032
11387
11434
12112
参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。1999年までEHESS/Cassini[4] 、2004年以降INSEE [8] [9]
ギャラリー
脚注
^ IGN, Géoportail Les Ponts-de-Cé, consulté le 11 mai 2014.
^ Maguelonne Toussaint-Samat, Récits des Châteaux de la Loire , 1970, p. 18, Ed. Fernand Nathan.
^ Célestin Port, Dictionnaire historique géographique et biographique de Maine-et-Loire , 1874-1878, Édition révisée de 1989 par André Sarazin et Pascal Tellier, t. 3, p. 263.
^ a b http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27522
^ Michel Dillange, Les comtes de Poitou, ducs d'Aquitaine : 778-1204, Mougon, Geste éd., coll. « Histoire », 1995, 303 p., ill., couv. ill. en coul. ; 24 cm (ISBN 2-910919-09-9 , ISSN 1269-9454, notice BnF no FRBNF35804152), p. 59.
^ Joseph Vaesent et Étienne Charavay, Lettres de Louis XI , tome XI « Itinéraire », Librairie Renouard, Paris 1909.
^ Jean Favier, Louis XI p. 637 et 642, Fayard, Paris 2001.
^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
^ http://www.insee.fr