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ロシア連邦の国章
他の種類
背後の盾を取り除いた紋章 詳細 使用者
ロシア連邦 採用
1993年 11月30日 盾
Gules , a double-headed Imperial Eagle displayed, twice imperially crowned, grasping in the dexter claw an imperial sceptre , and in the sinister claw an imperial orb , all Or . In chief another larger imperial crown with issuant and pendent therefrom a ribbon of the Order of St. Andrew the First-Called, also Or. The Imperial Eagle is charged on the breast with an escutcheon : Gules, an image of St. George Martyr the Victorious in complete armour Argent , wearing a flying cloak Azure , riding a horse in full gallop Argent; the latter treading upon a dragon crawling in base Or, whose head the rider is piercing through with a spear Argent.
ロシア連邦 の国章 (ロシアのこくしょう)はロシア帝国 の紋章 に由来し、赤い フィールド に金色 の鷲 をあしらう。鷲の頭には三つの王冠 があり、胸にはドラゴンを倒す聖ゲオルギオス を描いた赤い盾(インエスカッシャン )がある。
歴史
ソビエト連邦 の崩壊 の後に、ロシア帝国の紋章に由来する国章が使われるようになった。元々はイヴァン3世 が定めた紋章に対して修正が繰り返されたものである。配色 は15世紀に使われていたものに由来する。鷲の形はピョートル1世 の時代に使われたものに由来する。
ロシアの国章を形作る大きな二つの象徴 (双頭の鷲 ・ドラゴン を殺害する聖ゲオルギオス )はピョートル1世以前に由来する。モスクワ大公国 のツァーリ であるイヴァン3世の紋章は、ドラゴンを殺す(もしくは争う)騎手を象徴としていた。騎手は1730年に法令で制定されるまでは公式には聖ゲオルギオスであるとはされていなかった。より古い形態がモスクワ大公国 および現在のモスクワ 市の紋章である。槍を持った騎手という象徴は、1390年にモスクワ公ヴァシーリー1世 の紋章として最初に表れる。蛇 もしくはドラゴンがイヴァン3世の元で加えられた。聖ゲオルギオスはモスクワおよびロシアの守護聖徒となった。今日、現代のロシアが世俗 国家であるという特色を維持することを主な理由として、公式文書では中央の盾にいる騎手が聖ゲオルギオスであるとは言及されない。
双頭の鷲は東ローマ帝国 王女であり東ローマ最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴス をおじに持つゾイ・パレオロギナ との結婚ののちに、イヴァン3世 によって採用された。双頭の鷲は東洋 と西洋 の両方にかかる東ローマ帝国の公式の国章であった。それは、別の様相においては、教会と国との単一性を象徴していた。1453年のコンスタンティノープルの陥落 ののち、イヴァン3世とその相続人は、モスクワが真理・正統・キリスト教の信仰・そして結果としてローマ帝国の最後の拠点であると考えた(その結果、第3のローマ という表現がモスクワ、あるいはロシア全体に対して用いられた)。1497年より、双頭の鷲をもって神聖ローマ帝国 と同等のロシアの主権を宣言していた。双頭の鷲がロシアの国章として公式化されたことを示す残された最初の証拠は、1497年の、独立した王子たちに対する領土の割り当ての勅許に際して使用された王子の紋章である。同時に、赤い背景の上の金メッキ された双頭の鷲の象徴が、クレムリン のファセッツ宮殿 の壁に現れた。
1883年のロシア帝国 の小紋章。双頭の鷲の中央に聖アンドレイ勲章の頸飾に取り巻かれたモスクワの紋章(ドラゴンと戦うゲオルギオス)があり、その周囲にはカザン ・アストラハン ・シベリア 、ポーランド、フィンランド、グルジアなどロシアに併合された国々の紋章があしらわれている
ロマノフ朝 の最初のツァーリ であるミハイル・ロマノフ の下で国章が変更された。1625年、双頭の鷲が三つの王冠で装飾された。この王冠は、カザン ・アストラハン ・シベリア の征服された王国、あるいは大ロシア(ロシア )・小ロシア (現在のウクライナ )・白ロシア (ベラルーシ )の一体性を示すものとして説明された。今日、この王冠は全体として、あるいは下位区分(共和国・地方)としてのロシアの主権と一体性を象徴している。宝珠 (Держава )と王笏 (Скипетр )は主権と専制を意味する伝統的な象徴である。現在のロシアが君主制国家ではないにもかかわらず、ロシアの現代の国章にも保持されると決定された。三つの冠を支える聖アンドレイ勲章 の綬と、それに対応するモスクワの紋章を囲む聖アンドレイ勲章の頸飾を除去した意匠が、1993年に採用された。また、プーチン 大統領が2000年12月20日に国章に関連する法案に署名した。
歴代の国章
ロシア・ツァーリ国の紋章(1589年)
ロシア・ツァーリ国の紋章(1667年)
ロシア帝国の紋章(1796年)
ロシア帝国の紋章(1800年)
ロシア帝国の紋章(1825年)
ロシア帝国の紋章(1855年)
ロシア帝国の大紋章(1882年)
ロシア帝国の大紋章(1882年)
ロシア帝国の小紋章(1882年)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1920年)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1956年)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章(1978年)
ソ連崩壊直後、暫定的に用いられた国章
関連項目
外部リンク
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