ライヒは12歳まで住み込みの家庭教師の元で学んでいたが、母親が彼と不倫していることに気が付いた。ライヒは、1920年に初めて発表した論文「Über einen Fall von Durchbruch der Inzestschranke」(近親相姦のタブーを破ったケースについて)で、この出来事について、まるで患者についてであるかのように三人称で書いている[22]。夜、家庭教師の寝室に行く母親を尾行し、恥ずかしさと嫉妬を感じ、もし知っていることがばれたら殺されるのではないかと思い、父に話すと母を脅して自分とセックスさせようと思ったこともあると書いている。結局父に密告し、父は母に長期間暴力をふるい、1910年に母は自殺し、ライヒはそのことで自分を責めた[22]。
1925年に最初の著書『Der triebhafte Charakter: eine psychoanalytische Studie zur Pathologie des Ich』(衝動的な性格:自我の病理に関する精神分析的研究)が出版された[40]。診療所で出会った患者の反社会的人格の研究であり、人格の体系的な理論の必要性を説いたものであった。この本は彼の専門家としての評価を高め、フロイトは1927年に彼をウィーン精神分析学会の執行委員に任命するよう取り計らった[41]。シャラフによれば、これは1922年にライヒの教育分析の第二分析官となり、彼を精神病質者とみなしていたポール・フェダーンの反対を押し切っての任命であった[n 3]。ライヒはこの学会を退屈に感じ、「鯉の泳ぐ池の中の鮫のように」振舞ったという[44]。
1927年に『Die Funktion des Orgasmus(オーガズムの機能)』を出版し、フロイトに献呈した。1926年5月6日のフロイトの70歳の誕生日に、ライヒは原稿を贈った[55]。ライヒがそれを手渡したとき、フロイトは特に感動した様子もなく、「そんなに厚いのか」と答え、2ヶ月かかって簡潔だが肯定的な返事の手紙を書いた。しかし、ライヒはフロイトに拒絶されたと感じた[56][n 4]。フロイトは、問題はライヒが示唆したよりも複雑で、神経症の原因は一つではないと考えていた[57]。フロイトは1928年に、精神分析医ルー・アンドレアス・ザロメ博士への手紙で、次のように書いている。
1929年、ライヒは妻と共に講演旅行でソ連を訪れ、二人の子供の世話を精神分析医のベルタ・ボルンシュタインに任せた。シャラフによると、性的抑圧と経済的抑圧との関連性、そしてマルクスとフロイトを統合する必要性について、さらに確信を深めて帰国した[59]。1929年に彼の論文「唯物弁証法と精神分析」は、ドイツ共産党の雑誌『Unter dem Banner des Marxismus』に発表された。この論文は、精神分析が唯物史観、階級闘争、プロレタリア革命と親和するかを検討したものであった。ライヒは唯物弁証法が心理学に適用されるならば、それらは親和すると結論付けた[60]。これは、彼のマルクス主義時代の主な理論的発言の一つであり、他に『性道徳の出現』(1932年)、『青年の性的闘争』(1932年)、『ファシズムの大衆心理』(1933年)、『階級意識とは何か』(1934年)、『セクシュアル・レボリューション』(1936年)などがある。
1930年 - 1934年:ドイツ、デンマーク、スウェーデン
ライヒは1930年11月に、妻とともにベルリンに移り住んだ。1930年代には、精神分析とマルクス主義を調和させようと試みていた若い分析家やフランクフルトの社会学者達の潮流に属していた。この頃は初期フロイトの路線を強調した上で精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。労働者階級の地域に診療所を開設し、性教育を行い、パンフレットを出版した。ドイツ共産党に入党したが、彼のパンフレットの一つである Der Sexuelle Kampf der Jugend (青年の性的闘争、1932年。1972年にThe Sexual Struggle of Youthとして英語で出版)の出版が遅れたことに焦り、自分で Verlag für Sexualpolitik という出版社を設立し、パンフレットを作成することになった。[61]
ライヒは1933年に、ロバート・S・コリントン(英語版)が代表作と呼ぶ『Charakteranalyse: Technik und Grundlagen für studierende und praktizierende Analytike(性格分析)』を出版した。本書は1946年、1949年に改訂され、『Character Analysis』として英語で出版された。本書は、精神分析を性格構造の再構成へと向かわせようとしたものである。ライヒにとって、性格構造は社会的プロセスの結果であり、特に、核家族内で繰り広げられる去勢不安(英語版)とエディプス・コンプレックスの反映だった。[62]
ライヒはアニー・ライヒとの結婚期間中に何度か浮気をしたが、1932年5月に、ダンサーのエルザ・リンデンベルク(体操教師でボディワークのパイオニアのエルザ・ギンドラー(英語版)の門下)と真剣交際を始め、1933年にアニーと離婚した[66]。ヒトラーが首相に就任した1933年1月には、リンデンベルグとドイツで暮らしていた。同年3月2日、ナチスの新聞『フェルキッシャー・ベオバハター』が『Der Sexuelle Kampf der Jugend(青年の性的闘争)』に対する攻撃記事を掲載した[67]。ライヒとリンデンベルクは、翌日ウィーンに向かった。ライヒはデンマーク共産党(英語版)に入党していなかったが、1933年11月にデンマーク共産党から除名を宣言された。中絶の奨励、性教育、10代の患者の自殺未遂など、複数の苦情が寄せられた。ターナーによると、ライヒのビザが切れても、更新されなかった。[68]
1934年8月にスイスのルツェルンで開催された第13回国際精神分析学会で、ライヒは「Psychischer Kontakt und vegetative Strömung」(「心理的接触と植物的流れ」)と題した論文を発表し、彼が性格分析的植物療法と呼ぶ治療法の原理を初めて発表した[74]。 後に、彼の二番目の妻イルゼ・オレンドルフは、植物療法は「治療者による身体的な取り組み」で、患者に触れずに行う精神分析のメソッドに代替するものだと述べている[75]。
ライヒは、オーストリアの性風俗・性科学の研究者フリードリヒ・クラウスの研究に影響を受けており、彼は論文「Allgemeine und Spezielle Pathologie der Person」(1926年)で、生体システムは電荷と放電のリレー的スイッチ機構であると論じていた。ライヒはエッセイ「Der Orgasmus als Elektro-physiologische Entladung」 (電気生理学的放電としてのオーガズム, 1934年)で、オーガズムはまさにこの生体電気の放電であり、機械的緊張(器官が液体で満たされ膨張する、勃起)→ 生体電荷 → 生体放電 → 機械的弛緩(還元)という「オーガズムの公理」を提案した。[85]
1935年に、電気信号の波形を観測する装置オシログラフを購入し、ボランティアの友人や学生たちに取り付け、触れ合ったりキスをしたりしてもらい、情報を読み取る実験を行っていた。そのボランティアの一人が、後にドイツ首相となるウィリー・ブラントである。当時彼は、ライヒの秘書のガートルード・ガースラントと結婚し、ノルウェーに住んでナチス・ドイツに対する抗議運動を組織していた。ライヒは、オスロ近郊の精神病院の院長の許可を得て、緊張病性の人を含む患者の測定を行った[86]。ライヒは1937年に、『Experimentelle Ergebnisse über die elektrische Funktion von Sexualität und Angst』(性と不安の生体電気的調査)の中で、オシログラフの実験について説明している。
1934年から1939年にかけて、原生生物を対象に実験を行い、これをバイオン実験と呼んだ。1938年2月に、実験をまとめた「Die Bione: zur Entstehung des vegetativen Lebens」をオスロで発表した(1979年に英語版を出版)[88]。彼は原生動物を調べ、草、砂、鉄、動物組織などを使って培養小胞を育て、煮沸して滅菌し、カリウムとゼラチンを加えた。ヒートトーチで白熱させたところ、明るく光る青い小胞が見えたと書いている。彼はそれを「バイオン」と呼び、生命と非生命の中間にある生命の原初的な形態であると考えた。ライヒは、冷却した混合物を増殖培地に注ぐと細菌(バクテリア)が発生すると書き、細菌が元々空気中や他の物質に存在しているという考えを否定した。[89]自然発生説と生命の起源の項も記述がある。
ライヒは、青い小胞と、尖頭器のような形の小さな赤い小胞の2種類のバイオンを観察したと述べおり、前者を「PA-bion」、後者を「T-bacilli」と呼んだ。Tはドイツ語で死を意味する「Tod」の頭文字である[90]。彼は、地元の病院から入手した腐敗した癌組織から「T-bacilli」を発見したとし、これをマウスに注射すると、炎症と癌を引き起こすと、著書「The Cancer Biopathy」(1948年)に書いている。老化や傷害によって細胞内の生命エネルギー(オルゴンエネルギー)が減少すると、細胞は「生物学的変性」を起こすと結論づけた。ある時点で致命的な「T-bacilli」が細胞内に形成され始めると考え、癌による死は、「T-bacilli」の急激な成長によって引き起こされると信じた[91]。
The Mass Psychology of Fascism (translation of the revised and enlarged version of Massenpsychologie des Faschismus from 1933, translated by Theodore P. Wolfe)
The Murder of Christ (1953)
The Oranur Experiment
The Orgone Energy Accumulator, Its Scientific and Medical Use (1948)
Passion of Youth: An Autobiography, 1897-1922 (posthumous)
People in Trouble (1953)
Record of a Friendship: The Correspondence of Wilhelm Reich and A.S. Neill (1936–1957)
Reich Speaks of Freud (Interview by Kurt R. Eissler, letters, documents)
Selected Writings: An Introduction to Orgonomy
Sexpol. Essays 1929-1934 (ed. Lee Baxandall)
The Sexual Revolution (translation of Die Sexualität im Kulturkampf from 1936, translated by Theodore P. Wolfe)
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^Anna Freud "acknowledged leader" of IPA in 1934 –
BBC | The Century of the Self, 2002| There is a Policeman Inside All Our Heads: He Must Be Destroyed | Season 1 Episode 3 – (06m15s)
奥村大介「ヴィルヘルム・ライヒの生体エネルギー論 : ビオンとオルゴンをめぐって」『カルチュール : 明治学院大学教養教育センター紀要 : The MGU journal of liberal arts studies』第10巻第1号、明治学院大学教養教育センター会、2016年、23-33頁、NAID120005765082。
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