上原 熊次郎(うえはら くまじろう、生年不詳 - 1827年[1][2] )は、江戸時代後期のアイヌ語通詞。
松前藩の生まれとされるが、生年は不詳[3]。名は有次[4]。
東蝦夷地の請負場所で活動していたが、1807年(文化4年)に蝦夷地が幕府直轄領となると、松前奉行所で働くようになった。ゴローニン事件に際してはヴァシーリー・ゴロヴニーンからロシア語を学び、通訳を務めた[3]。
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