下館市(しもだてし)は、かつて茨城県北西部に存在した市。下館都市圏の中核をなしていた。
地理
隣接していた自治体
歴史
「下館」の地名については諸説あるが、平安時代の940年(天慶3年)に下野押領使の藤原秀郷(俵藤太)が平将門の乱平定のため、上館・中館・下館の三館を築いたことが、その始まりといわれている[1]。平安晩期から鎌倉時代にかけては伊佐氏(常陸伊佐氏)の領地であった。室町時代の1478年(文明10年)頃に、下総・結城氏の家臣、水谷伊勢守勝氏によって下館城が築城される。その後水谷氏が結城家から独立、江戸時代には下館藩の城下町となり、水谷氏に代わって入封した松平頼重(徳川光圀の兄)により水戸城下にならった町割りが行われた。その後真岡木綿や結城紬などを扱う商業の町として発展、「関東の大阪」と呼ばれるまでになった[1]。
1889年(明治22年)の町制施行時に、城下の区域を以て真壁郡下館町が成立。明治から大正にかけ、下館駅に水戸鉄道(現JR水戸線)、真岡軽便線(現真岡鐵道真岡線)、常総鉄道(現関東鉄道常総線)が相次いで開業し、交通の要衝となった[1]。1954年(昭和29年)、いわゆる昭和の大合併で五所村、中村、河間村、大田村、嘉田生崎村の周辺5村を編入して市制施行し下館市が誕生、のちに伊讃村、養蚕村、竹島村を編入した。
平成の大合併では、2005年(平成17年)に下館市は関城町、明野町、協和町との合併により筑西市となる。市内に「下館」のつく大字・小字名がなく、また新設もされなかったため、1000年以上の歴史を持つ「下館」の地名はこれにより消滅することになった[1]。
年表
行政区域変遷
下館市市域の変遷(年表)
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年
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月日
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旧下館市市域に関連する行政区域変遷
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1889年(明治22年)
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4月1日
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町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足[6][7]。
- 下館町 ← 下館城下単独で町制施行
- 伊讃村 ← 菅谷村・飯島村・外塚村・西谷貝村・神分村・西大島村・石原田村・笹塚村・小川村・下平塚村・
栗島村・岡芹村・谷中村・伊佐山村・下川島村・女方村・九蔵新田村
- 竹島村 ← 稲野辺村・小林村・川澄村・高島村・横島村・市野辺村・金丸村・直井村
- 養蚕村 ← 養蚕村 ← 蕨村・成田村・島村・塚原村・上川中子村・下中山村・川連村・茂田村・深見村・徳持村・大塚村
- 五所村 ← 五所宮村・盛添島村・子思議村・小塙村・山崎村・棹ヶ島村・下江連村・西山田村・上平塚村・大谷村・灰塚村
- 中村 ←中館村・谷部村・林村・石塔村・泉村・口戸村・樋口村・折本村・柴山村・筑瀬村
- 河間村 ← 羽方村・国府田村・上中山村・蒔田村・落合村・大関村・八田村・下高田村・奥田村・野村
- 大田村 ← 二木成村・野殿村・下野殿村・玉戸村・西方村・西方町村・布川村
- 嘉田生崎村 ← 嘉家佐和村・飯田村・西石田村・野田村・東榎生村・西榎生村・下岡崎村
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1949年(昭和24年)
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- 大田村の一部(玉戸の一部)は伊讃村に編入。
- 伊讃村の一部(飯島の一部)は大田村に編入。
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1954年(昭和29年)
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2月1日
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養蚕村・竹島村は下館町に編入。
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3月15日
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五所村・中村・河間村・大田村・嘉田生崎村は下館町に編入。
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1978年(昭和53年)
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- 関城町の一部(関本上中・関本上・関本肥土・船玉・藤ヶ谷の各一部)は下館市に編入。
- 協和町の一部(井出蛯沢・向川澄の各一部)は下館市に編入。
- 下館市の一部(川澄の一部)が協和町に編入。
- 下館市の一部(女方の一部)は関城町に編入。
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1979年(昭和54年)
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- 関城町の一部(舟生の一部)は下館市に編入。
- 旧大田村の一部(野殿の一部)は関城町に編入。
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2005年(平成17年)
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3月28日
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下館市は関城町・明野町・協和町と合併して筑西市が発足。下館市は消滅。
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下館市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略)
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1868年 以前
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明治元年 - 明治22年
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明治22年 4月1日
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明治22年 - 昭和64年
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平成元年 - 現在
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現在
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下館城下
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明治15年 下館城下
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下館町
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昭和26年4月1日 下館町
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昭和29年3月15日 市制
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平成17年3月28日 筑西市
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筑西市
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田中村
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西郷谷村
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粕礼新田
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飯島村
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伊讃村
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菅谷村
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外塚村
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西谷貝村
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神分村
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西大島村
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石原田村
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笹塚村
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小川村
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下平塚村
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栗島村
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岡芹村
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谷中村
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伊佐山村
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下川島村
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女方村
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九蔵新田村
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小林村
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竹島村
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昭和29年2月1日 下館町に編入
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直井村
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高島村
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市野辺村
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稲野辺村
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金丸村
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川澄村
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成田村
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養蚕村
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島村
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蕨村
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塚原村
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上川中子村
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下中山村
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川連村
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茂田村
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徳持村
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大塚村
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森添島村
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五所村
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五所村
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昭和29年3月15日 下館町に編入
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子思議村
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五所宮村
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小塙村
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山崎村
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掉ケ島村
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下江連村
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西山田村
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上平塚村
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大谷村
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灰塚村
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中館村
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中村
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中村
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谷部村
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林村
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石塔村
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泉村
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口戸村
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樋口村
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折本村
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柴山村
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筑瀬村
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国府田村
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河間村
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河間村
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上中山村
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蒔田村
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落合村
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北大関村
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明治11年 大関村
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南大関村
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八田村
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下高田村
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羽方村
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奥田新田村
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明治18年 奥田村
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野村
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二木成村
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大田村
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大田村
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野殿村
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下野殿村
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玉戸村
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西方村
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西方町村
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布川村
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嘉家佐和村
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嘉田生崎村
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嘉田生崎村
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飯田村
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西石田村
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野田村
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東榎生村
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西榎生村
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下岡崎村
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地域
- JR水戸線・関東鉄道常総線・真岡鐵道真岡線の三線が乗り入れるターミナル駅の下館駅の北部が中心市街地。住居表示で言えば、甲・乙・丙の三地区および周辺地区が含まれる。「甲乙丙」の三地区は明治期の旧・下館町にあたり、「旧市内」或いは単に「下館地区」と呼ばれる。かつて下館の商人たちは「下館商人」と呼ばれ、彼らの力により町の整備が進み「関東の大阪」と呼ばれる商都として隆盛を極めた。
下館地区の通称町名
旧市内は「甲乙丙」の住所表記とは別に、通称としての町名が存在する。自治会や子供会は町単位で設置され、下館祇園祭では各町ごとに神輿を出し、地区運動会では町対抗競技が行われる。またどの町にも「児童館」があり、子供会の行事からカラオケ大会まで老若男女を問わない町の集会所となっている。行政上の正式な住所表記ではないのだが、「甲乙丙」は旧市内を便宜的に3地域に分けたもの(地番も甲乙丙通しで振られている)に過ぎないため、旧市内においては甲乙丙よりも町名が親しまれており、字名(甲・乙・丙)を通称町名と併記する場合は、町名を先に書く習慣がある。
- (例「下館市本城町甲x番地」…「本城町」は「甲」の中にある町の1つであるが、「甲本城町x番地」と書くことは無い。郵便物は「本城町x番地」「本城町甲x番地」「甲x番地」のいずれでも届く。行政上の住所では「下館市甲x番地」と町名を省く。)
- 合併で誕生した筑西市は住所を文字通りそのまま引き継いだため、行政上の住所は「筑西市甲x番地」と「下館」が全く入らないものになったが、「筑西市本城町甲x番地」と町名を使う習慣はそのまま引き継がれている。
- 下館地区の通称町名一覧(五十音順)
- 通称町名はあくまで「通称」であり、その境界は厳格に定められているわけではない。概ねその家や店がどの町の自治会に入っているかや、伝統的な暗黙の境界線によるところが大きいので、町の境界線は住民自身も把握しきれないほど曖昧で複雑だが、基本的に変わることはなく、代々受け継がれる。また、町が甲乙丙の区分に跨ることはほとんど無いが、必ずしも合致しているわけではない。
- (例:田中町の場合、JR下館駅は「田中町乙」、スピカビルは「田中町丙」。)
町名 |
よみがな |
所属 |
備考
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旭町 |
あさひちょう |
甲 |
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東町 |
あずまちょう |
乙・丙 |
またがっている町名
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荒町 |
あらまち |
乙 |
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泉町 |
いずみちょう |
乙 |
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稲荷町 |
いなりちょう |
丙 |
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大町 |
おおまち |
甲 |
一・二・三丁目がある
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春日町 |
かすがちょう |
丙 |
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金井町 |
かないちょう |
甲 |
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栄町 |
さかえちょう |
乙 |
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桜町 |
さくらまち |
丙 |
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十軒町 |
じっけんまち |
甲 |
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新花町 |
しんはなちょう |
乙 |
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末広町 |
すえひろちょう |
丙 |
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鷹場町 |
たかばちょう |
丙 |
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田中町 |
たなかちょう |
乙・丙 |
またがっている町名
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田町 |
たまち |
甲 |
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西町 |
にしまち |
甲 |
一・二・三丁目がある
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根岸町 |
ねぎしちょう |
甲 |
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富士見町 |
ふじみちょう |
乙 |
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南町 |
みなみちょう |
乙 |
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本城町 |
もとしろちょう |
甲 |
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薬師町 |
やくしまち |
甲 |
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下館都市圏
一般的な都市圏の定義については都市圏を参照。
「10%都市圏」(通勤圏)
- 下館市を中心市とする都市雇用圏(10%通勤圏)の人口は9万8261人(2000年国勢調査基準)。
- 中心DID(人口集中地区)人口は1万2929人(2000年)。
都市圏の変遷
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
自治体('80)
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1980年
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1990年
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1995年
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2000年
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自治体('06)
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下館市
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下館都市圏 11万0843人
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下館都市圏 11万7699人
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下館都市圏 11万8078人
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下館都市圏 9万8261人
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筑西市
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関城町
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協和町
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明野町
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つくば都市圏
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行政
歴代市長
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる。
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
秋山源吉 |
1954年(昭和29年)3月15日 |
1955年(昭和30年)4月14日 |
旧下館町長
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2 |
菊池豊 |
1955年(昭和30年)5月13日 |
1956年(昭和31年)9月30日 |
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3 |
松岡龍雄 |
1956年(昭和31年)11月15日 |
1972年(昭和47年)11月14日 |
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4 |
下條正雄 |
1972年(昭和47年)11月15日 |
1976年(昭和51年)11月14日 |
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5 |
浜野正 |
1976年(昭和51年)11月15日 |
1992年(平成4年)11月14日 |
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6 |
鈴木良一 |
1992年(平成4年)11月15日 |
1996年(平成8年)11月14日 |
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7 |
冨山省三 |
1996年(平成8年)11月15日 |
2005年(平成17年)3月27日 |
廃止
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教育
高等学校
交通
鉄道
かつてはバスも走っていた。
道路
施設
公共施設
娯楽施設
- 下館シネマ1 - 映画館
- 下館シネマズシアター - 複合映画館
- 下館映画劇場・下館ミラノ座・下館オスカーの3スクリーン
出身著名人
歴史上の人物
経済人
文化人
芸能人
スポーツ選手
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。
- 小野寺敦 監修「地名と方言にまつわる不思議にせまる」『茨城「地理・地名・地図」の謎』(初版)実業之日本社〈じっぴコンパクト新書〉、2014年、pp.29-30頁。ISBN 978-4-408-45517-4。
関連項目
外部リンク