両津港(りょうつこう)は、新潟県佐渡市(佐渡島)にある港湾。港湾管理者は新潟県。佐渡島では小木港と並んで港湾法上の重要港湾に指定されている。また、両津港は港則法上の特定港に指定されている。
概要
佐渡島東岸の両津湾と加茂湖を隔てる砂州上に位置し、新潟港から就航する佐渡汽船の旅客船が入港する。島内各地へ到るバス・道路が連絡するため、佐渡島の表玄関として機能している。新潟港から伸びる国道350号の海上国道区間の終点でもある。
港一帯はみなとオアシスとして登録されていて、道の駅あいぽーと佐渡を代表施設とするみなとオアシス佐渡両津として地域住民や観光客とのふれあいの場、海洋レクリエーション交流拠点となっている。
なお、空の玄関である佐渡空港とは、加茂湖をはさんで約5.5 km(道路距離)離れている。
背後には加茂湖が広がり、水面をはさんで佐渡最高峰の金北山(標高1,171.9m)を望むことができる。近くには両津温泉郷がある。
歴史
古くから漁港となっていた北側の夷(えびす)と南側の湊(みなと)、この両方の津(船着場の意味)を合わせて「両津」という地名になった[1][2]。
江戸時代には相川金銀山の隆盛に連れて物資の出入りが盛んになり、西廻り航路の船も往来したほか、加茂湖を埋め立てて築地町を作る形で街が拡大していった[1][2]。
1868年(明治元年)11月19日に新潟港が開港五港に指定されたのに伴い、佐渡夷港は新潟港の緊急避難などのための補助港として開港した[3]。開港に当たってはイギリス公使ハリー・パークスが新潟港の港湾能力に疑念をもち、佐渡夷港を補助港として開港するよう強く主張した[4]。
1885年(明治18年)7月、新潟港との間に越佐汽船会社の定期船「度津丸」が就航[3]。1886年(明治19年)相川 - 両津間県道開設と整備が進められ、それまで佐渡の主要な玄関口となっていた小木港に代わって当港が主要な玄関口として発展した[5][6][7]。やがて新潟県内第一の水産物水揚げ港に発展する。
夷・湊の両町の間には1902年(明治35年)に加茂湖の洪水対策のための水路が開削された[8]。夷は1928年(昭和3年)の大火でまち並みの殆どが焼失した[2]が、夷本町通りの商店街には片持ち式アーケードが架けられ、出桁造りの町家建築が立ち並んでいる[8]。
なお、港湾名は1917年(大正6年)に佐渡夷港から両津港に正式に改称された[4]。
旅客航路
施設
2022年現在、老朽化した両津南埠頭ビルの移転・建て替えや交通広場整備が検討されている[9][10]。また、市主導でシェアオフィスの整備が進められ[11]、2022年に「SADO PORT LOUNGE」としてオープンした[12]。
バス連絡
- 新潟交通佐渡「両津港佐渡汽船」バス停 ※着船時に接続する路線のみ掲載。このほか、「学生車」が乗り入れる[13]。
両津港周辺
周辺は両津地区(旧両津市)の市街地となっており、北側は夷、南側は湊のまちが広がる。
脚注
関連項目
外部リンク