五箇山トンネル(ごかやまトンネル)は、富山県南砺市にある国道304号のトンネル。このトンネルと梨谷トンネル・梨谷大橋の開通により、それまで難所・細尾峠に行く手を阻まれてきた五箇山地区と城端地区が通年で往来できるようになった。全長3072メートル[2]は富山県の道路トンネルとしては第3位(2006年(平成18年)8月現在)である。
概要
第一トンネル(延長750m)と第二トンネル(延長2,173m)からなり、第一トンネルと第二トンネルは掩蓋工(延長149m)で結ばれ、総延長は3,072mである(完成当時は富山県内最長のトンネルであった)[3]。
歴史
藩政時代より生活物資が運ばれた旧五箇山街道で知られるが、積雪期の街道は高さ4 mも積もる雪の下に埋もれ、しばしば雪崩にも襲われた。「人喰谷(ひとくいだに)」「朴峠(ほうとうげ)」の区間は、急峻な斜面を開削してつくられた狭隘な道で、その道の厳しさは、民謡『五箇山追分』の一節にも表現されたように、五箇山の住民たちは城端の町へ出るために雪崩の恐怖におびえながら通行したといわれる。地元地域住民の国道昇格の熱意が叶って、1970年(昭和45年)にこの道が国道304号として国道昇格し、道路改良整備が進められることになった。地元住民の悲願であった「冬季間も途絶することのない道路のためにぜひともトンネルを」の思いは、国道昇格から9年後の1979年(昭和54年)に五箇山トンネルとして着工されることとなり、総事業費59億7000万円(当時)と5年の歳月をかけて、1984年(昭和59年)3月10日に五箇山トンネル(3070 m)を含む延長3350 mのバイパス道路が開通した。
この開通によって、城端町 - 平村間の国道304号の延長が24.5 kmから12.5 kmへと大幅に短縮され、冬季間の積雪時においても通行の安全が確保されたことから、地元住民の生活や地域産業の発展に大きく寄与することとなり、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の一つにも選定されている。
年表
地理
五箇山トンネルがある五箇山地方は、白山山系の標高1000 m級の急峻な山岳地帯にあり、トンネル開通以前は平野部と隔絶された地域であったため、独自の文化と風俗が培われてきた地であった。平家の落人集落の伝説がある地でもあり、江戸時代は加賀藩によって火薬の原料となる煙硝の生産地であった。世界文化遺産に登録された相倉合掌造り集落や、「こきりこ節」「麦屋節」などの民謡民舞が生まれるなど独自の文化があるところとして、全国的にも知られる。
脚注
- ^ a b 『北日本新聞』1984年3月11日付朝刊1面より。
- ^ a b 『富山大百科事典 上巻』(1994年7月1日、北日本新聞社発行)645ページ。
- ^ 『城端町 行政史』(2005年11月30日、城端町発行)135 - 136頁。
- ^ a b c d 『城端町 行政史』(2005年11月30日、城端町発行)133頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)180ページ。
- ^ a b 『城端町 行政史』(2005年11月30日、城端町発行)134頁。
- ^ 『越中五箇山 平村史 上巻』(1985年5月20日、平村発行)1276頁。
- ^ a b c d e 『城端町 行政史』(2005年11月30日、城端町発行)135頁。
- ^ 『北日本新聞』1981年8月5日付朝刊15面『五箇山トンネル起工 梨谷大橋完成 地元民ら渡り初め』より。
- ^ 『北日本新聞』1981年11月15日付朝刊15面『難所解消へ一歩 五箇山 第一トンネルが開通』より。
- ^ 『北日本新聞』1984年3月10日付朝刊1面『きょう盛大に開通式 県内最長・五箇山トンネル 3070メートル 午後一般開放』より。
- ^ 『城端町 行政史』(2005年11月30日、城端町発行)136頁。
参考文献
関連項目
|
---|
北海道 | |
---|
東北地方 | |
---|
関東地方 | |
---|
中部地方 | |
---|
近畿地方 | |
---|
中国地方 | |
---|
四国地方 | |
---|
九州地方 | |
---|
「中央通り」、「武家屋敷通り」は複数あるため所在地を表記 |