井川町(いかわまち)は、秋田県の中央部に位置する町。町並みは出羽丘陵に源を発して八郎潟(残存湖)に注ぐ井川に沿って形成されている[1]。南秋田郡に属する。
地理
東西に約14km、南北に約4kmと細長い町で、俎山が東端に位置している[1]。地形は東部は波状形の段丘、西部は平坦な水田地帯である[1]。
八郎潟調整池に境界未定部分がある[2]。
隣接している自治体
人口
町の人口が最多となったのは町制施行前の井川村が誕生した1955年(昭和30年)で7,763人だった[3]。
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井川町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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井川町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 井川町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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井川町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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6,669人
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1975年(昭和50年)
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6,427人
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1980年(昭和55年)
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6,380人
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1985年(昭和60年)
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6,316人
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1990年(平成2年)
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6,294人
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1995年(平成7年)
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6,208人
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2000年(平成12年)
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6,116人
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2005年(平成17年)
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5,847人
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2010年(平成22年)
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5,493人
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2015年(平成27年)
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4,986人
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2020年(令和2年)
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4,566人
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総務省統計局 国勢調査より
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歴史
鎌倉時代の『吾妻鏡』に「出羽国秋田郡湯河」とあり、これが井川にあたると考えられている[1]。
町長
- 2015年2月15日投開票の町長選挙の結果、齋藤正寧の長男で、元団体職員の齋藤多聞が初当選し、同年2月15日に就任した。齋藤多聞は、曽祖父・祖父が旧上井河村村長、父が前町長と、直系4代で町村長を務めた家系の出身となる[4][注 1]。
歴代村長および町長
期 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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村長職務執行者
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齋藤正作
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1955年(昭和30年)2月1日
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1955年(昭和30年)3月13日
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旧上井河村長。後に県議に転出。
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1
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遠藤三之丞
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1955年(昭和30年)3月14日
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1959年(昭和34年)2月23日
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2-6
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鷲谷嘉兵衛
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1959年(昭和34年)3月1日
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1979年(昭和54年)2月28日
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7-15
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齋藤正寧
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1979年(昭和54年)3月1日
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2015年(平成27年)1月5日 (任期途中での死亡退任)
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元県議。齋藤正作の長男。
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町長職務代理者
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遠藤兼美
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2015年(平成27年)1月5日
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2015年(平成27年)2月15日
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16-18
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齋藤多聞
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2015年(平成27年)2月15日
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(現職)
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齋藤正寧の長男。
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産業
郵便局
町内を担当する集配局は、潟上市の飯田川郵便局(ゆうゆう窓口機能は秋田中央郵便局が担当)。
金融機関
- 指定金融機関は秋田銀行(取りまとめ店は五城目支店)となっている。
教育
2018年4月に、井川町立井川中学校の敷地を利用して、小中一貫教育を行う、秋田県内では初となる義務教育学校が設置された。これに伴い、井川町立井川小学校と井川町立井川中学校は閉校となった。
医療
町内に公立の病院はなく、八郎潟町にある湖東厚生病院まで無料の井川町巡回バス「さくら号」「ゆうゆう号」を運行している。
交通
鉄道
バス
道路
出身者
市外局番
秋田市と同じ、018である。収容局と局番は以下の通り。
井川町を舞台にした作品
- 井川さくら駅、日本国花苑が登場している。
- 井川町、五城目町、潟上市などがロケ地となっている。
引用
注釈
- ^ 同一の自治体で直系の親子3代共に首長就任という事例は、宮城県黒川郡大衡村や埼玉県浦和市(現在のさいたま市)等で存在するが、途中の自治体合併を経たかどうかを問わず、直系4代という事例はこれまでの記録上存在していない状態だった。
参考文献
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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