佐竹 義種(さたけ よしたね、宝暦11年10月16日(1761年11月12日)[1] - 文化13年閏8月6日(1816年9月27日)[2])は、佐竹氏一門の佐竹西家14代当主。久保田藩大館第8代所預。
父は西家佐竹義休。母は石塚義陳の娘。正室は今宮義栄の娘。子は佐竹義幹。幼名は元千代。通称は隆元千代、長菊、石見、近江。初名は義邑。
経歴
宝暦11年(1761年)大館城代佐竹義休の子として生まれる。寛政元年(1789年)父の隠居により家督相続し、大館城代となる。知行高は7500石。寛政5年(1793年)、藩主佐竹義和の命で大館に郷校博文書院を設立する。家政不行き届きにより隠居を命じられる。文化13年(1816年)死去。享年56。
脚注
- ^ 『大館市史』第5巻(大館市教育委員会、1990年)p.80
- ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.166