ブルバキに見られるように、写像は集合とともに現代数学の基礎となる道具の一つである。現代的な立場では、「写像」と(一価の)「関数」は論理的におなじ概念を表すものと理解されているが、歴史的には「関数」の語は解析学に出自を持つものであり、一部には必ずしも写像でないものも関数の名の下におなじ範疇に扱われる(多価関数参照)。文献によっては「数の集合(大抵の場合実数体 R または複素数体 C の部分集合)を終域に持つ写像」をして特に「関数」と呼び、「写像」はより一般の場合に用いる[3][4]。関数、二項関係、対応の各項も参照のこと。
集合 A の各元に対してそれぞれ集合 B の元をただひとつずつ指定するような規則 f が与えられているとき、f を「定義域(あるいは始域) A から終域B への写像」といい
などと表す。また f は A で(あるいは A の上で)定義されているといい、あるいはまた f は B に(あるいは B の中に)値を持つという。始域 A を sour(f)、終域 B を tar(f) のように記すこともある。また、A の元 a に対して f によって指定される B の元が b である(このことを、a が f によって b に写されるという)とき、b を a における f の像あるいは値(あたい、value)と呼び、b を f(a) で表す。 f によって A の元 a が B の元 f(a) に写されることは、
a ↦ f(a)
という記法で表される[5]。変数x を用いて x ↦ f(x) のように写像を表すとき、f は、 A をわたる(または動く)変数 x の関数である、あるいは変数 x に従属するという[要出典]。
の二つをみたすとき、f を A から B への関数と呼び[7]、f: A → B で表す。またこのとき、(x, y) ∈ f であることを f(x) = y と書く。この文脈では、f と f のグラフ{(x, y) | y = f(x)} を同一視し、関数と写像を同じ意味に用いる。
二つの写像 f と g の相等は、集合として同一であるということ、すなわち
∀x∀y ( (x,y) ∈ f ⇔ (x,y) ∈ g )
ということであるが、これは( f と g の定義域が等しく、かつ)任意の a ∈ A に対して f(a) = g(a) であることと同値である。
3つの集合からなる組の一種として定義する場合
一方、圏論の用語との整合性を重んじる文脈では、次のようになる。
集合 A, B の元の順序対からなる集合(すなわち二項関係)Gf が
の二つをみたすとき、三つ組 f := (A, B, Gf) をこの関数関係 Gf から定まる A から B への写像と呼び、f: A → B で表す。またこのとき、(x, y) ∈ Gf であることを f(x) = y と書き、Gf = {(x, y) | y = f(x)} を写像 f のグラフと呼ぶ。二つの写像 (A, B, Gf) と (C, D, Gg) の相等は、三つ組としての相等をいう。特に、f, g がともに A から B への写像のとき、f と g が等しいというのは、この二つの写像のグラフGf と Ggとが A × B の集合として同一であるということ、すなわち
∀x∀y ( (x,y) ∈ Gf ⇔ (x,y) ∈ Gg)
ということであるが、これは任意の a ∈ A に対して f(a) = g(a) であることと同値なので、素朴な意味で写像 f と g が等しいと言ったときと同じ意味となる。
圏論の用語と整合性をとる文脈では、写像の相等を扱う際の、二つの写像が「ともに A から B への」写像であるという但し書きは重要である。例えば A から B への写像 f と A から B ⊆ B′ なる B′ への写像 g について、集合として f = g(つまりグラフが一致)でも三つ組としては異なるから、この二つの写像は同一でない。実際、x ↦ x2 なる元の対応で定められる二つの写像 f: R → R と g: R → R≥0 を考えると後者は全射性を持つが前者はそうでない[8](値域・終域の各項も参照)。
また、超限帰納法を用いるなどして写像を集合論的に構成する場合、始域や終域としては「すべての集合」のような真の類を考えることもある[要出典]。そのような場合でも定義域 A を集合に制限すれば順序対の集まり f|A や値域 f(A) も集合となる[要出典]。
例
自明な写像
集合 A の任意の元 a に対して a 自身を対応させると、これは A から A への写像になる。この写像を恒等写像といい、IA や idA や 1A などで表す。
B を A の部分集合とするとき、B の任意の元 b に対して b 自身を A の元として対応させる B から A への写像を包含写像といい、iA, B や incA, B などで表す。
f: A → B とする。A の部分集合 A′ について、A′ の各元 a に対して B の元 f(a) を対応させると、これは A′ から B への写像になる。この写像を f の A′ への制限写像といい、f|A′ と表す。
A が空集合のとき、A から B への写像はただ一つ存在し、これを空写像と呼ぶ。空写像に対応するグラフは空集合である。A の元が存在しないので何の対応も定めてはいないが、これも立派な写像である。素朴な定義では、f が写像であるとは「a が A の元ならば B の元 f(a) がただ一つ定まる」が成り立つことであったが、A が空集合ならば「a が A の元」は偽であるから、この命題は真である。この議論は A と B が共に空集合である場合も通用するので、空集合から空集合への写像は空写像ただ一つである[注釈 1]。
一般の例
x ∈ R に 絶対値|x| を対応させる |・|: R → [0, ∞) は写像である。これは全射であるが単射ではない。
GL(n, R) を n 次実一般線型群、即ち正則な実 n 次正方行列の全体とする。行列 A ∈ GL(n, R) にその行列式 を対応させる対応 det: GL(n, R) → R× は写像になる。これも全射であるが n ≥ 2 のとき単射ではない。
R2[x] を {ax2 + bx + c | a, b, c ∈ R, a ≠ 0} (実係数2次多項式全体)で定める。多項式 ax2 + bx + c ∈ R2[x] にその判別式D = b2 − 4ac ∈ R を対応させる対応 D: R2[x] → R は写像である。これも全射であるが単射ではない。
B′ を B の部分集合とするとき、f によって B′ に写される始域 A の元全体からなる集合 {a ∈ A | f(a) ∈ B′} を B′ の逆像または原像といい、f−1(B′) で表す[注釈 2]。
A の部分集合 X の元の f による像たちの全体からなる終域 B の部分集合 {f(a) | a ∈ X} を X の f による像といい、f[X], f″X などで表す。特に f の A による像 f[A] を f の値域(range) と呼び、ran(f), Im(f) などで表す[注釈 3]。つまり、写像 f: A → B あるいは Gf ⊆ A × B の値域ran(f) は
写像の定義域をより小さな部分集合に取り換えることで写像の制限 (restriction) または縮小[11]が定義される。すなわち、写像 f: X → Y と部分集合 S ⊆ X が任意に与えられたとき、任意の s ∈ S に対して f|S(s) := f(s) と置くことにより定義される写像 f|S: S → Y を写像 f の S への(定義域の)制限と呼ぶ。写像 h の適当な制限が f に一致するとき、h は f の延長 (continuation) または拡大[12]もしくは拡張 (extension) であるという。終域の制限や延長を考えることもある。また写像の制限の記号は誤解のおそれが無い限り省略されることも多い。
一般には、定義域と始域が異なる(値の定められていない始域の元が存在する)という場合も考え得る。集合 A, B の元の順序対からなる集合(すなわち二項関係)Gf が
右一意性: (x, y1) ∈ Gf かつ (x, y2) ∈ Gf ならば y1 = y2
をみたすとき Gf は A から B への関数関係であると言われる。このとき、三つ組 f := (A, B, Gf) をこの関数関係 Gf から定まる A から B への部分写像と呼び[注釈 4]、f: A → B で表す。部分写像 f: A → B すなわち Gf ⊆ A × B の定義域dom(f) と値域ran(f) は次のように定義される:
写像の定義の際には課した関係の全域性は、部分写像 f の定義域 dom(f) が始域 A に一致することをいうものであり、全域的な部分写像を特に全域写像 (total mapping) と呼ぶ。すなわち、全域写像は写像の同義語である[注釈 5]。
^例えば(ケリー 1968, p. 10)は「関数,対応,写像,作用素をすべて同じ意味で使用することにする」という断り書きをつけている。
^The words map or mapping, transformation, correspondence, and operator are often used synonymously. (Halmos 1970, p. 30). (訳文: 写像、変換、対応および作用素の語がしばしば (関数の) 同義語として用いられる)