南寧市(なんねい/ナンニン-し、簡体字中国語: 南宁市,拼音: Nánníng、チワン語: Namzningz)は中華人民共和国広西チワン族自治区の首府である。歴史的な簡称は邕(よう)だが、近年緑化が進んでいることから緑城とも言われる。チワン族が全市人口の 56.3 パーセントを占める。
紀元前214年秦の嶺南征服により桂林郡に属し、広州を都とする南越王国を経て、紀元前111年に漢の鬱林郡となった。318年に東晋が鬱林郡から晋興郡を分置し、晋興県を置いた。これが今日の南寧の始まりである。唐代には邕州が設置され、これが今日の南寧の簡称の起源となる。元代には邕州路が南寧路に改められ、南寧の名が起った。明代には南寧府が置かれて、広西布政使司に属し、清代には桂林を省会とする広西省に属した。
辛亥革命後、広西軍政府は1913年桂林から南寧に省都を移したが、1936年には再び桂林に戻った。日中戦争では二度日本軍に占領されている。1949年12月4日人民解放軍が南寧に入城し、1950年1月23日南寧市人民政府が正式に成立した。同年2月8日広西省人民政府が成立すると南寧を省都とした。その後、幾度かの変遷を経て1958年3月5日現在の広西壮族自治区が成立し、南寧市が自治区首府となった。1968年には文化大革命により南寧市革命委員会が成立するが、1980年には正式に市人民政府が復活する。1992年6月15日、国務院の決定により南寧市は対外開放都市となった。
過去に広東省(特に中山市)からの移住者が多かったため、主に白話(広東語)を使用していたが、1996年からの普通話重点教育により白話を話せない若者が増えているのが現状。ただし、年配者同士の会話は依然白話である。
自治区中南部の南寧盆地を流れる邕江両岸に位置する。邕江は珠江支流の西江の支流・鬱江の南寧市付近における別名であり、河川航路により海に出ることができる。ベトナム国境から 160 キロメートルの地点にあり、中国と東南アジアとの貿易上重要な都市となる。海洋から遠くないため、高温多湿である。
7市轄区・1県級市・4県を管轄下に置く。
この節の出典[2][3]
自治区都・南寧は、2004年以降中国ASEAN博覧会(CAEXPO)の定例開催地となっており、併せてASEANビジネス・投資サミットも開催されている。
一律1人民元(BRT、エアコンバスは2人民元)火車駅周辺には、公共バスの停留所が5つある。
公立
私立
(日本語)
この項目は、中国の地理に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/PJ:中国)。