南(みなみ)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0002[3]。
市の統計などでは上平地区で分類されている。
地理
埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北部の大宮台地上や芝川支流沿いの低地に位置する[6]。台地と低地との境は起伏が緩やかなため明瞭ではない[7]。
地区は上尾久喜線(べにばな通り)が通る西門前を挟み大きく南北に分かれ、北側は字新梨子や字北東谷(上平北小学校付近)、南側は字南東谷(上平公園付近)で大きく纏まっている。東側は大字菅谷、南側は上平中央、西から北にかけては大字久保、西門前、上やその飛地と隣接する。南側は大字上尾村や錦町とも僅かに隣接する。
境界線は東側の芝川の支流が流れる大字菅谷との境界は直線的な境界線だが、西側は周辺大字(大字上、西門前、久保)や、入会地由来の大小多くの飛地の境界が錯綜し、複雑な境界線を描いている。大字南の大小多くの飛地が北西から南東にかけて分布し、北は桶川市と上尾市の境界付近[8]、南は小敷谷吉田通線(はなみずき通り)の「平塚団地入口」交差点付近にも飛地がある[9]。大字南の地区内にも大字上の小さな飛地が複数ある。
地区は一部の飛地を除いたほぼ全域が市街化調整区域[10]に位置し、全体的には耕作地主体の農業地域であったが一部で宅地化も進行しており[8]、倉庫などの商業地のほか北部には青葉台団地や箕木住宅と称する纏まった住宅地も見られるが、人口の増加は周辺町丁や大字と比べると大字須ケ谷や菅谷と同様にかなり緩慢である[11]。北部は桶川駅から2 km圏内で、上尾市の中心地より桶川市の中心地の方が近い。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する南村、古くは桶川郷伊奈荘のうちにあり、江戸初期までは、桶川宿、上村、久保村、門前村などと共に一つの桶川村であったと云われている[6]。以降南村や上村などに分村したものと思われる。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では202石余(田48石余、畑154石余)[13]、『元禄郷帳』によると198石余、『天保郷帳』によると210石余であった。化政期の戸数は36軒であった[6]。なお、村の規模は不明(久保 (上尾市)#歴史も参照)。1801年(享和元年)頃より村では京都の紅花問屋との間で紅花の取引が盛んに行なわれるようになった[6][14]。
地名は桶川郷の南側に位置していたことによるものと云われている[6]。なお、1616年(元和2年)の年貢割付状によると「桶川南村」の地名[6]、1621年(元和7年)の年貢割付状によると「南在家村」の地名[注釈 1]、1631年(寛永8年)では「桶川の内南村」の地名が見出せる[7]。
1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米27石、糯6石、大麦62石、小麦17石、大豆7石、小豆3石、栗8石、稗6石、蕎麦4石、甘藷13320貫であった[15][注釈 2]。
存在していた小字
※登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[39]。
交通
地区内に鉄道は敷設されていない。地区により最寄り駅が異なるが、南部はJR東日本高崎線北上尾駅、青葉台団地などがある北部は同線桶川駅から東方2 km圏内[11]で最寄り駅となっている。
道路
バス
桶川駅から内宿駅方面などへの路線バスが運行されている。
- 朝日自動車菖蒲営業所[40]
- 地区内には「青葉台団地」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[41]
- 地区内は「上平公園北口」、「上平北小学校西」、「上尾第一団地東」、「青葉台団地」バス停留所が設置されている。
町内会
施設
脚注
注釈
出典
参考文献
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 「南村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/55。
関連項目
外部リンク