原市(はらいち)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0021[3]。
市の統計などでは原市地区で分類されている。面積は3.1639 km2で上尾市の町・字では大字平方に次いで広い。
地理
埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南東部の主に大宮台地上に位置する。地区東部の市街化調整区域[6]には原市沼や「原市ふるさとの緑の景観地」[7]があり、北東部を中心に自然が比較的多い地域となっている。直下には綾瀬川断層が所在する。また、地区南西部はかつての見沼の最北端に位置し、現在も湿地帯を形成している。地区南西部には上尾市で最も落差の大きな崖があり、最も急な坂道が字一番耕地にある[8]。
地区内は芝川沿いの低地と北東部の原市沼川周辺を除き市街化区域[6]で南部は主に第一種低層住居専用地域や第一種中高層住居専用地域、北部は主に第一種住居地域に指定され、地区内には区画整理が実施され原市北、原市中のように街区表示板が設置され住居表示が実施されているように見える(住居表示未実施[9])所もある。県道5号旧道沿いの近隣商業地域には市場町の名残の景観が見られる。最北部は三井金属鉱業などが立地する工業地域[6]である。地区東部には市街化調整区域内であるが、原市台団地や白樺団地などの住宅団地もある。鉄道駅はあるものの畑や田んぼが広がり、雑木林や原市沼などの湿地帯もあるなど、のどかな自然に囲まれた地域であるが、徐々に開発が進行し住宅地のほか倉庫や工場等の立地も増えている。
地内の「原市ふるさとの緑の景観地」周辺に十五番耕地遺跡(県遺跡番号:14-016)をはじめ、地内には観音山遺跡(県遺跡番号:14-020)や愛宕山遺跡(県遺跡番号:14-142)などの多くの遺跡があり[6]、建物跡やピットなどの遺構や縄文土器片などの遺物が検出されている。
かつての経緯から市主導での人権教育を徹底している[10]。
河川・湖沼
※ 見沼代用水西縁は東大宮親水公園の北側付近で近接しているが、地区内を流れていない。
地価
住宅地の地価は2018年(平成30年)1月1日の公示地価によれば原市字四番耕地643番地36の地点で10万6000円/m2となっている[12]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡吉野領に属する原市村であった[13][14]。戦国期は原宿とも称された[15][14]。1500年代に作成されたと推定される熊野詣の人名帳のひとつ『武蔵国旦那引付注文写』には、「足立郷あけをの郷原宿 原五郎さへもん」の文字が見える。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では原宿村として1151石余(田403石余、畑747石余)[16]、『元禄郷帳』によると1031石余、『天保郷帳』によると1083石余であった。化政期の戸数は235軒で、村の規模は東西5町、南北43町余であった。村名の由来は隣村である吉野原村は古くは原村と称され、その原村の市がある場所と云われていたことに因む[13][14]。
1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米163.2石、糯17.1石、大麦529.2石、小麦329.2石、裸麦74石、大豆248.2石、稗80石、蕎麦100石、甘藷2400俵、菜種25石、製茶250斤、実綿1300貫であった[17]。
はじめ知行旗本西尾氏(後に立藩して原市藩)、1618年(元和4年)西尾氏の移封により上知され幕府領となる[18][13]。1623年(元和9年)より岩槻藩阿部氏領、1674年(延宝2年)より再び幕府領となる[注釈 1][13]。1707年(宝永4年)より幕末まで地域の大半が旗本山高・松井・中山・植村氏の相給(残部は幕府領)となる[13]。
存在していた小字
※登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
世帯数と人口
2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[48]。
番地 |
小学校 |
中学校 |
選択可能学校(要 通学希望届)
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1〜318番地、3336番地(原市団地)、3376〜3419番地 3434〜3444番地、3912番地〜最後 |
上尾市立原市南小学校 |
上尾市立原市中学校 |
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319〜971番地、1000〜1155番地、1169〜1188番地 1257番地、1301番地、1307〜1308番地、1323番地1 1323番地3〜1323番地4、1441番地1〜2981番地 2983〜2998番地、3007〜3023番地、3037〜3038番地 3046〜3067番地、3070〜3081番地、3083〜3100番地 3104〜3109番地、3111〜3113番地、3115〜3119番地 3121〜3122番地、3126〜3335番地、3336番地(原市団地) 3336番地1〜3375番地、3420〜3433番地 3445~3911番地 |
上尾市立原市小学校
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1231〜1254番地、1275〜1276番地、1278〜1298番地 1313番地〜1315番地1 1315番地3〜1315番地4、1316番地1 1316番地5〜1316番地999、1324番地1 |
上尾市立東町小学校 上尾市立上尾中学校
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1277番地、1309〜1312番地、1315番地2 1315番地5〜1315番地999、1316番地2〜1316番地4 1317〜1322番地、1323番地2 1323番地5〜1323番地999、1422番地8〜1422番地9 1422番地12〜1422番地20、1422番地22〜1422番地33 1423番地1〜1440番地 |
上尾市立東町小学校 |
上尾市立上尾中学校 |
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972〜999番地、1156〜1168番地、1189〜1230番地 1255〜1256番地、1258〜1274番地、1299〜1300番地 1302〜1306番地、1324番地2〜1422番地1・4 |
上尾市立原市小学校 上尾市立原市中学校
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1422番地2、1422番地5〜1422番地7 1422番地10〜1422番地11、1422番地21 1422番地34〜1422番地57 |
上尾市立東小学校 |
上尾市立東中学校 |
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2982番地、2999〜3006番地、3024〜3036番地 3039〜3045番地、3068〜3069番地、3082番地 3101〜3103番地、3110番地、3114番地、3120番地 3123〜3125番地 |
上尾市立尾山台小学校 |
上尾市立瓦葺中学校
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交通
道路
都市計画道路「原市平塚線」や「沼南駅停車場線」の延伸が計画されている。
バス
原市団地周辺より上尾・東大宮・宮原駅方面への路線バスが運行されている。
- 東武バスウエスト 大宮営業事務所[50]
- 地区内は「原市団地北口」、「診療所」、「原市団地中学校」、「原市団地中学校入口」、「下新町」、「原市」、「原市陸橋」、「原市団地南」、「船橋」、「原市新田」、「堀崎町」バス停留所が設置されている。
- 朝日自動車 菖蒲営業所[51]
- 地区内は「原の前」、「南平塚」、「上新町」、「上町」、「仲町」、「蓮田新道」、「下新町」、「かわらぶき入口」、「原市新田」、「堀崎町」、「支所前」、「原市団地中学校入口」、「原市団地北口」バス停留所が設置されている。
- 丸建つばさ交通 けんちゃんバス(旧・丸建自動車)[52]
- 地区内は「原の前」、「三井金属前」、「南平塚」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[53]
- 地区内は「原市二区」、「仲町」、「沼南駅」、「原市公民館入口」、「原市団地中学校入口」、「原市団地北口」、「原市七区」、「原市集会所」、「原市六区会館」、「原市六区中」、「原市六区北」、「原市駅南」、「四番耕地」、「原市六区栗橋線」、「原市交番前」、「上新町」、「五区公民館前」、「五番町北」、「原市三区」バス停留所が設置されている。
地域
町内会
- 原市第一区町内会[54]
- 上尾市原市2区町内会
- 上尾市原市第三区町内会
- 原市四区町内会
- 原市五区町内会
- 原市第六区町内会
- はらいち台自治会
- 柳通り北区町内会
- 原市団地自治会
祭事
寺社
- 妙厳寺 - 市指定文化財(史跡)の「西尾隠岐守一族累代の墓」や「伊藤由哉碑と墓」がある[55]
- 宝蔵寺 - 市指定天然記念物の「らかんまき」がある[32]。
- 聞乗寺
- 派聞乗寺
- 愛宕神社
- 大六天神社
- 白山神社
- 日枝神社
- 氷川神社
- 神明神社
公園・緑地
- 原市ふるさとの緑の景観地[40]
- 原市台公園 - 指定緊急避難場所(地震)に指定[56]。
- 原市台南公園
- 白樺公園
- 白山公園 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定。
- 原市1番耕地公園
- 原市2番耕地公園
- 原市19番耕地公園
- 原市21番耕地公園
- 原市沼南駅イチョウ公園
- 原市団地中央グラウンド - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定
教育
- 上尾市立原市小学校 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)、指定一般避難所に指定。
- 上尾市立原市南小学校 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)、指定一般避難所に指定。
- 上尾市立原市中学校 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)、指定一般避難所に指定。
- 埼玉県立上尾鷹の台高等学校 - 指定緊急避難場所(地震)、指定一般避難所(地震のみ)に指定。
- 上尾看護専門学校
- 上尾みずほ幼稚園
- 妙厳寺幼稚園
- 上尾市立原市保育所
- 上尾市立原市南保育所(同和対策保育所[37])
- ゆうゆうくじら保育園
- ゆうゆうくじら第2保育園
施設
脚注
注釈
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』385頁では1681年(天和元年)再度幕府領と記されている。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『上尾百年史』によると、旗本山高宮内および松井惣右衛門および中山鍵二郎および植村梅之助の知行[19]。
- ^ 現在の県道5号旧道の原市駅以北、および国道16号をアンダーパスして芝川の船橋を渡り産業道路の「宮原駅(東)」交差点に至る市道、およびそれ以南で堀の内交差点付近までの産業道路(厳密には東側に平行して東北本線を第一菖蒲跨線道路橋で渡る市道を経由)が当時の道筋に当たる。
- ^ 現在の概ね第二産業道路の原市駅以南の部分に相当。東大宮の「八雲神社入口」交差点の先で道筋が次第に春里中学校方面に向けて東向きに変わり東門前蓮田線に至っていた。当時の道筋は東大宮地内の区画整理で一部廃道されたが、市道として残る。
- ^ 原市駅は五番町に所在するが、ホームの一部は原市の区域に掛かる。
- ^ 芝川の左岸側は五番町ではなく大字原市である。
- ^ 地区の大半は現在の五番町に地番変更された。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では上新町・上町とも。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では中町とも。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では下新町とも。
出典
参考文献
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』上尾市役所、1994年3月15日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 蘆田伊人編 編「巻ノ153足立郡ノ19 原市村」『大日本地誌大系』 第12巻 新編武蔵風土記稿8、雄山閣、1929年8月、77-80頁。NDLJP:1214888/45。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク