司馬 興男(しば こうだん、生没年不詳)は、東晋の明帝の長女。母は皇后庾文君。桓温の妻。南康公主。
生涯
明帝の長女として生まれた。初めは遂安県主に封じられ、後に南康公主に昇進した。桓温に降嫁した。桓温の庶子の桓玄が桓楚を建てた際、司馬興男は既に亡くなっていて、宣皇后を追贈された。
南朝宋の虞通之が著した『妬記』には以下のエピソードが記されている。
桓温は成漢を攻略した後、李勢の妹(一説には娘)を自分の側室とした。そのことを聞いた司馬興男は刀を持って彼女を殺そうとした。その時李勢の妹は髪を結っていて長い髪が地面までひきずっていたという。李勢の妹は司馬興男を見ても表情を変えずに「もう私のふるさとは滅びております、ならばここで死んだところで、何ほどのことでしょう」と言った。司馬興男はその言葉を聞いて感じ入り、刀を捨てて彼女を抱きしめ「私ですらあなたを見て心を動かされたのなら、どうしてあの老奴(=夫、桓温を指す)が心動かさずにおれましょうか」と語った。
- 『晋書』本紀巻1~10、列伝巻7・8・29・44・68・69による
- 太字は皇帝(追贈含む)、数字は即位順。
- 灰網掛けは八王の乱にて殺害された人物。