吉 再(キル・ジェ、길재、1353年) - 1419年)は、高麗末期の文臣。字は再父。号は冶隠、金烏山人、諡号は文節公。本貫は海平吉氏。
人物
李穡(牧隠)、鄭夢周(圃隠)、権近の門人で朱子学を修め、前二者と並び「三隠」と称された。成均館博士となり教育に専心し、門下注書に至ったが、老母の奉養のため致仕し、帰郷した。李朝成立後は、再三の招命を固辞し、慶尚道善山で後進の指導にあたった。門人の金叔滋から金宗直、金宏弼(朝鮮語版)、趙光祖につながる士林派の学統が成立した。著書に「冶隠集」がある。
李朝時代の清廉潔白な官吏として「淸白吏」218人のうちの一人に選ばれている。
参考文献
- 「集英社世界文学大事典」 集英社 1997
- 「世界大百科事典」平凡社 2007