土山 秀夫(つちやま ひでお、1925年(大正14年)4月23日[1] - 2017年(平成29年)9月2日[2])は、日本の病理学者、医師。長崎大学名誉教授、長崎平和宣言文起草委員、核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表、「核兵器廃絶―地球市民長崎集会」実行委員会顧問、長崎県九条の会共同代表ほか。元長崎大学学長。世界平和アピール七人委員会委員。
来歴
1925年(大正14年)4月23日、長崎県長崎市に生まれる。1943年(昭和18年)、長崎県立長崎中学校を卒業。1945年(昭和20年)8月9日、午前中は長崎を離れていたが、夕方に長崎に戻ったため、被爆。1952年(昭和27年)、長崎医科大学(現長崎大学医学部)を卒業。その後、長崎大学医学部助手、講師、助教授を務める。1957年5月、長崎大学医学博士。論文の題は「無脳兒の内分泌系臓器に関する病理学的研究」[3]。
1959年(昭和34年)イリノイ大学(アメリカ合衆国)客員研究員(~1961年(昭和36年)まで)を経て、1969年(昭和44年)長崎大学医学部教授となる。1982年(昭和57年)10月1日、長崎大学医学部長に就任[4]。1986年(昭和61年)9月30日、長崎大学医学部長退任[4]。1988年(昭和63年)10月11日、長崎大学第10代学長に就任[5]。1992年(平成4年)10月10日 長崎大学学長退任[5]。2000年11月、勲二等旭日重光章受章[6]。2017年、従三位に叙される[7]。
平和活動家としても知られ、1990年(平成2年)長崎平和祈念式典の平和宣言文起草委員、2004年(平成16年)世界平和アピール七人委員会委員を務めた。2010年(平成22年)12月 - 長崎市名誉市民(6人目)に選ばれ[8]、2011年(平成23年)名誉市民年金全額をもとに、土山秀夫平和基金を創設した[9]。
著書
- 『さらば、クライスラー』日本図書刊行会(1993年
- 『論文集 核廃絶への道』長崎文献社(2011年
- 『核廃絶へのメッセージ 被爆地の一角から』日本ブックエース 平和文庫(2011年
- 『あてどなき脱出 土山秀夫推理小説集』長崎文献社 2012
共編著
脚注
長崎大学学長(第10代:1988年 - 1992年) |
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前身諸学校・大学長 |
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第五高等中学校医学部主事 |
- 学部長/主事 吉田健康 1888-1890/1890-1894
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第五高等学校医学部主事 | |
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長崎医学専門学校長 |
- 心得/校長 田代正 1901/1901-1917
- 事務取扱 村上安蔵 1917
- 事務取扱/校長 尾中守三 1917-1919/1919-1920
- 事務取扱 国友鼎 1920
- 山田基 1920-1923
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長崎医科大学附属医学専門部主事 | |
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長崎医科大学長 | |
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