Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

大倉集古館

大倉集古館
The Okura Museum of Art
大倉集古館
地図
大倉集古館の位置(東京都区部内)
大倉集古館
大倉集古館 (東京都区部)
施設情報
専門分野 日本・東洋の古美術
収蔵作品数 約2,500点
管理運営 公益財団法人大倉文化財団
建物設計 伊東忠太(1927年)
谷口建築設計事務所(2019年)[1]
延床面積 1,948.13㎡[1]
開館 1917年大正6年)
所在地 105-0001
東京都港区虎ノ門二丁目10番3号
位置 北緯35度40分1.1秒 東経139度44分36.0秒 / 北緯35.666972度 東経139.743333度 / 35.666972; 139.743333座標: 北緯35度40分1.1秒 東経139度44分36.0秒 / 北緯35.666972度 東経139.743333度 / 35.666972; 139.743333
外部リンク http://www.shukokan.org/
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示
随身庭騎絵巻(国宝)(部分)
古今和歌集序(国宝)(巻頭部分)
普賢菩薩像(国宝)
大倉喜八郎

大倉集古館(おおくらしゅうこかん)は、東京都港区虎ノ門二丁目にある日本初の私立美術館である。日本東洋の古美術を中心に収蔵する。運営は公益財団法人大倉文化財団。

概要

明治から大正期にかけて大きな財を成し、大倉財閥を創始した大倉喜八郎が、長年に亘って収集した古美術・典籍類を収蔵・展示するため、邸宅の一角(工部省測量師長マクヴェイン官舎跡地)に1917年(大正6年)に財団法人大倉集古館として開館する。開館からまもない1923年(大正12年)、関東大震災によって当時の展示館と一部の展示品を失い、一時休館を余儀なくされたが、伊東忠太の設計と大成土木(現:大成建設)による施工で再建され、耐震耐火の中国風の展示館が1927年(昭和2年)完成し、翌年再開館した[2]。この建築は展示室から長い回廊が伸び六角堂を経て表門に至る壮大なものだった。喜八郎の死後は、その嫡男である大倉喜七郎が近代日本画など収蔵品の充実に努めた。

太平洋戦争時の空襲も乗り越えるが、戦後、敷地内にホテルオークラ(ホテルオークラ東京)が建設されることを受け、一部の建物が整理解体された。1990年(平成2年)展示室は都の歴史的建造物に選定され、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

ホテルオークラ東京の建て替えに伴いリニューアル

竣工以来50年が経過し老朽化が顕著となったホテルオークラ東京本館のThe Okura Tokyoへの建て替えに沿って、集古館もリニューアルされることになり、谷口建築設計事務所(谷口吉生)の設計と大成建設の施工で、周りに増築されていた部分が撤去の上で約6m曳家され[1]免震構造の地下階の増築によって、ロビーショップホール等が設けられ[1]2019年(令和元年)9月12日にリニューアルオープンした[1][3]。竣工したThe Okura Tokyoにおける最大の宴会場である「平安の間」には、喜七郎が目指した「平安」のイメージを継承するものの一つとして、集古館が所蔵する喜七郎が蒐集した国宝古今和歌集序』をモチーフとする壁面装飾が施された[4]

The Okura Tokyoと共に第62回BCS賞受賞[5]

運営者

設置運営者は公益財団法人大倉文化財団であり、日本・東洋の絵画、書跡彫刻陶磁器漆工金工刀剣能面、能装束、考古遺物など約2,500点と中国の古典籍(漢籍)約1,000部を所蔵し、年間5回ほどの企画展を開催している。

主な収蔵品

収蔵品は2,500件で、そのうち国宝は3件、重要文化財は13件、重要美術品は44件である[6]

国宝

重要文化財

  • 絹本著色一字金輪像
  • 絹本著色石清水八幡宮曼荼羅図
  • 紙本著色賀茂競馬・宇治茶摘図 久隅守景筆 六曲一双
  • 紙本著色鵜飼図 狩野探幽筆 六曲一双
  • 絹本著色洞窟の頼朝 前田青邨筆 二曲一隻 昭和4年(1929年)
  • 石造如来立像 北魏
  • 長生殿蒔絵手箱
  • 寿老図六角皿 尾形乾山作・尾形光琳
  • 短刀 銘則重
  • 徐公文集(宋刊本)12冊
  • 宋版大唐三蔵取経詩話3帖
  • 宋版韓集挙正10冊
  • 東大寺文書(屏風貼付)六曲一隻

登録有形文化財

  • 大倉集古館陳列館(建造物)

その他

旧蔵品

  • 興福寺乾漆釈迦十大弟子立像『伝優波離像』(奈良時代)現存すれば国宝級の貴重なものであったが関東大震災で焼失した。

ギャラリー

脚注

参考文献

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya