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大湊分屯基地

座標: 北緯41度15分12秒 東経141度07分43秒 / 北緯41.25333度 東経141.12861度 / 41.25333; 141.12861

津軽海峡周辺の海自(◆)・空自基地(▲)。1-松前警備所、2-松前警備所白神支所、3-竜飛警備所、4-函館基地隊、5-大湊基地、6-下北海洋観測所、7-車力分屯基地、8-大湊分屯基地

大湊分屯基地(おおみなとぶんとんきち、JASDF Ominato Sub Base)とは、青森県むつ市大字大湊字大近川44に所在し、第42警戒隊等が配置されている航空自衛隊三沢基地の分屯基地である。標高878mの釜臥山頂上付近及び麓にある。麓に庁舎・官舎(北緯41度15分11秒 東経141度7分43秒 / 北緯41.25306度 東経141.12861度 / 41.25306; 141.12861)などがあり、山頂がレーダーサイト北緯41度16分44秒 東経141度7分11秒 / 北緯41.27889度 東経141.11972度 / 41.27889; 141.11972)となっている。両施設間は専用道路で結ばれている。

分屯基地司令は、第42警戒隊長が兼務。第42警戒隊は北部航空警戒管制団傘下の部隊であり、2021年(令和3年)7月1日に警戒群から警戒隊に改編された。その任務としては、対空警戒・監視と要撃管制である。弾道ミサイル発射警戒のため、従来のJ/FPS-2[1][2]は平成19年度に撤去され、平成22年度にはJ/FPS-5(通称ガメラレーダー)に機材更新をした[3]

東奥日報「Web東奥」の取材によると、1976年のベレンコ中尉亡命事件の際は、低空飛行で進入してきたMiG-25(ミグ25)戦闘機を捕捉できなかった[4]

配置部隊

北部航空方面隊隷下

沿革

  • 1954年(昭和29年)8月:アメリカ空軍が大湊に対空レーダー設置。
  • 1955年(昭和30年)2月:北部訓練航空警戒隊大湊派遣隊が移駐、訓練開始。
  • 1960年(昭和35年)6月:アメリカ空軍よりレーダー運用移管、施設も大蔵省より防衛庁へ移管。
  • 1961年(昭和36年)7月15日:北部訓練航空警戒隊が北部航空警戒管制団に改編。同時に大湊派遣隊が第42警戒群に改編。
  • 1976年(昭和51年)9月6日:ベレンコ中尉亡命事件
  • 1980年(昭和55年)12月:J/FPS-2レーダー導入。
  • 2011年(平成23年)7月:J/FPS-5レーダーが運用開始。
  • 2021年(令和03年)7月1日:第42警戒群が第42警戒隊に改編[5]

関連項目

脚注

外部リンク

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