宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月[1] - 1972年(昭和47年)12月6日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。旧姓・須知。
経歴
三重県出身。須知左馬太郎の三男として生まれ、宮野富次郎の養子となる[1]。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警保局属となる[1][3]。
以後、富山県警視、同警察部警務課長、大分県理事官、地方事務官・長崎県勤務、内務事務官、同省警保局警務課長、東京府書記官・総務部長、内務書記官・警保局保安課長などを歴任[1]。
1937年2月、岐阜県知事に就任。河川改修、用水改良事業、林道開設、戦時体制の整備などに尽力[1]。1941年1月、埼玉県知事に転任。戦時下の対応に尽力[4]。1942年1月9日、知事を依願免本官となり退官した[5]。1942年7月7日、陸軍司政長官に発令され[6]、同年8月15日、第16軍軍政監部・スラカルタ侯地事務局長官に就任[7]。1943年3月11日、スマラン州長官へ転任[8]。1944年12月、第16軍軍政監部治安部長に転任し終戦を迎えた[9]。戦後に公職追放となった[3]。
1972年12月6日、急性肺炎により東京都世田谷区の自宅にて死去[10]。
栄典
- 勲章
著作
- 『警察行政・衛生行政』〈自治行政叢書;第8巻〉常磐書房、1935年。※「衛生行政」は白松篤樹が担当。
脚注
- ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』549頁。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1212頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』228頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』322頁。
- ^ 『官報』第4499号、昭和17年1月10日。
- ^ 『官報』第4647号、昭和17年7月8日。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』140頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』139頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』138頁。
- ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和47年(1972年)12月6日夕刊、3版、11面
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ 『官報』第5634号「叙任及辞令」1945年10月22日。
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。