富内村(とんないむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
富内という地名は、アイヌ語でトンナイチャ(Tonnayca)と呼び、「トー・ウン・ナイ・チャ」(湖から出る川)に由来[2]。「とむない」と読む人もいる。
白瀬矗の南極探検隊に参加したアイヌの山辺安之助が、この村に住み、総代を務めたことで知られている。
また、1923年に富内村と合併した旧・落帆村は、アイヌ語研究者の金田一京助が樺太での初調査の際訪れたことで有名。
概要
オホーツク海に面し、樺太の行楽地である富内湖や恩洞湖や遠幌湖・能仁湖・頭場湖など、湖の多い村であった。
歴史
村内の地名
- 恩洞(おもと)
- 野幌(のっぽろ)
- 育仁(いくに)
- 下伊佐(しもいさ)
- 中伊佐(なかいさ)
- 上伊佐(かみいさ)
- 能仁(のうに)
- 遠幌(えんほろ)
- 阿辺(あべ)
- 東幌泊(ひがしほろとまり)
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- 愛郎(あいろう)
- 鉢戸(はちと)
- 豊舞(とよまい)
- 神居(かもい)
- 親口(おやくち)
- 矢根(やね)
- 皆岸(みなきし)
- 三軒屋(さんげんや)
- 伊茶旡(いちゃに)
- 時岱(ときたい)
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- 喜美内村地域
- 上喜美内(かみきみない)
- 下喜美内(しもきみない)
- 落帆村地域
- 南負咲(みなみおぶさき)
- 南藻入(みなみもいれ)
- 蝶内(ちょうない)
- 南遠古丹(みなみえんこたん)
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- 煤牛(すすうし)
- 南板田(みなみいただ)
- 散毛主(ちりけぬし)
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([3])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]。
- 樺太公立富内国民学校
- 樺太公立落帆国民学校
- 樺太公立南遠古丹国民学校
- 樺太公立皆岸国民学校
- 樺太公立上喜美内国民学校
- 樺太公立喜美内国民学校
- 樺太公立下喜美内国民学校
脚注
- ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)に「面積 九九・五二方里」とあり。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.242
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1681
関連項目