対戦車ヘリコプター隊(たいせんしゃヘリコプターたい)は陸上自衛隊の航空科部隊。ここでは同様の部隊である戦闘ヘリコプター隊についても説明する。
概要
対戦車ヘリコプター隊は、各方面航空隊の隷下にあり、対戦車ヘリコプター(攻撃ヘリコプター)を装備し、戦車などの敵陸上部隊に対処することを主任務としている。2021年3月時点で戦闘ヘリコプター隊を含め5個隊が編成されている。
対戦車ミサイルを搭載した攻撃ヘリコプターは、地上部隊に比較し、機動力・攻撃力が充分に大きく、また戦車の遠距離撃破能力も有するなど有力な戦力となるものである。
陸上自衛隊では1959年よりヘリコプターの武装化についての研究を開始しており、昭和47-51年度にかけてHU-1にロケット弾発射機を搭載して武装化するための改修キットが計10セット調達されて、北部方面航空隊に配備された。一方、対戦車ミサイルの搭載も検討されており、1960年7月には開発中の対戦車誘導弾(MAT; 後の64式)をH-13に試験搭載して報道陣にも公開したものの[3]、ピッチングの問題を解決できず、HU-1への搭載は断念された。
これを受けて、昭和52年度より、本格的攻撃ヘリコプターであるAH-1Sの導入が開始された。1979年と1980年にアメリカ合衆国のAH-1Sを試験機材として2機を購入し、運用試験を開始している。1982年より航空学校用および部隊用の機材取得が開始された[4]。
冷戦期の北方重視の兵力配置もあり、1986年、第1対戦車ヘリコプター隊が北部方面航空隊に新編されている[5]。その後、1994年の第5対戦車ヘリコプター隊(中部方面航空隊隷下)で、全5個対戦車ヘリコプター隊の編成を完了した。
対戦車ヘリコプター隊は隊本部のほか、観測ヘリ(OH-1)を装備した隊本部付隊と2個飛行隊(第1・第2飛行隊 AH-1S 計16機)からなる。しかし第2対戦車ヘリコプター隊は2009年度に1個飛行隊に縮小改編されている。AH-1Sの後継機・AH-XとしてAH-64D アパッチ・ロングボウが調達されていたが、価格面より2012年度予算までの13機で調達中止となった。2018年12月18日に閣議決定・公開された防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画において「各方面隊直轄の対戦車ヘリコプター部隊を縮小するとともに、効果的かつ効率的に運用できるよう配備の見直し等を検討する」との記述がなされた[6]。以後、2023年度末までに、第3対戦車ヘリコプター隊(第1戦闘ヘリコプター隊)を除き、1個飛行隊体制に移行する方針となった。
2021年3月18日にAH-64Dを唯一装備する第3対戦車ヘリコプター隊が「第1戦闘ヘリコプター隊」に称号変更した[7]。
2022年(令和4年)12月16日に政府が閣議決定した防衛力整備計画において、AH-64D、AH-1S、OH-1などを廃止し、任務を無人航空機に移行することが明記された[8]ことにより、対戦車ヘリコプター隊の無人航空機部隊への移行が予定される。
部隊一覧
部隊長については方面航空隊の記事を参照
沿革
- 1986年(昭和61年)3月25日:第1対戦車ヘリコプター隊を帯広駐屯地で新編。北部方面航空隊に隷属。
- 1988年(昭和63年)3月25日:第2対戦車ヘリコプター隊を八戸駐屯地で新編。東北方面航空隊に隷属。
- 1990年(平成 2年)3月26日:第3対戦車ヘリコプター隊を目達原駐屯地で新編。西部方面航空隊に隷属。
- 1992年(平成 4年)3月27日:第4対戦車ヘリコプター隊を木更津駐屯地で新編。東部方面航空隊に隷属。
- 1994年(平成 6年)3月28日:第5対戦車ヘリコプター隊を明野駐屯地で新編。中部方面航空隊に隷属。
- 2010年(平成22年)
- 3月12日:第3対戦車ヘリコプター隊にAH-64Dが配備。
- 3月:第2対戦車ヘリコプター隊が1個飛行隊に縮小改編[10]。
- 時期不明:第5対戦車ヘリコプター隊が1個飛行隊に縮小改編。[9]
- 2021年(令和 3年)3月18日:第3対戦車ヘリコプター隊が第1戦闘ヘリコプター隊に称号変更。[7]
- 2022年(令和 4年)3月:第4対戦車ヘリコプター隊を1個飛行隊に縮小改編。[11]
- 2024年(令和 6年)3月:第1対戦車ヘリコプター隊を1個飛行隊に縮小改編[12]。
- 2025年(令和 7年)度末:第2対戦車ヘリコプター隊を廃止、第110飛行隊(仮称)に改組予定[13]。
脚注
出典
参考文献
外部リンク
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