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展拓香港界址専条

専条の内容
“租借”された新界新九龍
深圳河に沿う中英辺境の境界

展拓香港界址専条(てんたくホンコンかいしせんじょう、中国語: 展拓香港界址專條英語: The Convention Between Great Britain and China Respecting an Extension of Hong Kong Territory)は、イギリス香港新界地方を占有する中国清朝政府と結んだ不平等条約であった。

南京条約に基づき香港島北京条約に基づき九龍半島を支配した後、イギリスは続いて、1898年、“香港の防衛”の名の下に、清朝との“展拓香港界址専条”の締結により、7月1日から、界限街以北、深圳河以南、ランタオ島などの200余りの島嶼を含む土地を99年間租借し、“新界”(New Territories)と呼んだ[1]

九龍寨城は租借地内にあったが、特別条項として、城内に清朝官吏が常駐して、その管轄権は、香港の安全を妨げない限りにおいて引き続き認められることになった[2][3]

3つの不平等条約を通じ、香港島、九龍半島と新界がイギリスに占有され、今の香港の版図になった。展拓香港界址専条に基づき、1898年7月1日から99年後、即ち1997年7月1日に香港の全域が中華人民共和国返還された[4]

出典

  1. ^ 可児弘明「香港新界の囲郭村落について」『史学』第42巻第2号、三田史学会、1969年11月、99(233)-122(256)、CRID 1050001338945509376ISSN 0386-9334 
  2. ^ Yahoo Blog. アクセスしようとしているサイトを見つけられません[リンク切れ]
  3. ^ 九龍城砦の歴史 (香港) goo blog. 2004-03-05.
  4. ^ 竹内孝之「香港: 返還10周年と第3期政府発足」『アジアの出来事』、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2007年7月、1-1頁、CRID 1390290701666624000doi:10.20561/00049613hdl:2344/00049613 
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