岩井 直溥(いわい なおひろ、1923年10月2日 - 2014年5月10日[1])は、日本の作曲家、編曲家および指揮者。
陸軍中将で男爵の野崎貞澄の孫として東京牛込に生まれる[2]。父の岩井貞麿(旧姓野崎)は音楽教室経営者で、柴田南雄のピアノの師。母は帝国劇場のリハーサルピアノプレーヤー。
1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現東京藝術大学)器楽科(ホルン専攻)入学[1]。作曲を橋本國彦に師事[3]。1943年(昭和18年)に学徒出陣により旧大日本帝国陸軍に入隊。朝鮮半島へ出征。その後千葉県習志野市の東部軍教育隊へ異動。館山市の守備隊で見習士官(准尉)で終戦を迎える。ホルン専攻ではあるが、終戦後ジャズの世界にとびこみ、トランペットも演奏。ニューフェローズを結成し、東京都中央区銀座のアメリカ合衆国軍のナイトクラブで演奏。その後ビバップエース、アーニーパイルオーケストラを経てシティ・スリッカーズへ。アーニーパイル時代に編曲を始める。“フランキー堺とシティ・スリッカーズ”(1954 - 1959頃)は当時のアメリカ合衆国のコミックジャズバンド“スパイク・ジョーンズ&ザ・シティ・スリッカーズ”に範をとり、フランキー堺をはじめ、谷啓、植木等、桜井センリらを擁した16人編成のバンドであった。1959年に東芝イーエムアイの専属となり[4]、尾藤イサオ、山下敬二郎、森山加代子、弘田三枝子、スリーファンキーズなどの作曲、編曲を手がけた。
2014年(平成26年)5月10日午後3時43分、呼吸不全のため横浜市内の自宅で死去[5]。90歳没[1]。生涯手がけた作品は3000曲以上、全日本吹奏楽コンクール課題曲6曲を作曲した[6]。
(「ニュー・サウンズ」シリーズでは多くの編曲を担当、収録では指揮を担当)