岩崎 小二郎(いわさき こじろう、弘化3年1月(1846年) - 1895年(明治28年)6月22日)は、幕末の大村藩士、明治期の大蔵・内務官僚、政治家。県知事、元老院議官、貴族院議員。旧姓・朝山。
経歴
大村藩士・朝山松台の二男として彼杵郡下嶽村に生まれる。藩校・五教館に入り松林廉之助に学び、藩内の尊皇攘夷派に加わり活動した。
明治2年6月(1869年7-8月)、民部官に出仕し、大主典兼監督大祐、兼庶務大祐、権少史などを務める。明治4年1月(1871年)から黒田清隆開拓次官に随行しアメリカ合衆国、ヨーロッパを訪問。同年7月から大蔵省留学生としてロンドンで学び、1874年(明治7年)7月に帰国。大蔵省七等出仕となり、1876年(明治9年)大蔵少丞兼国債助に就任。
1876年、大蔵少書記官となり、大蔵権大書記官兼銀行局長、大蔵省書記局御用掛などを歴任し、参事院議官補に就任し、法制局参事官となる。1889年(明治22年)12月、秋田県知事に発令されたが、胃病のため辞退し赴任せず、1890年(明治23年)3月、元老院議官に任じられた。同年5月、滋賀県知事に転任。以後、大分県知事、福岡県知事を歴任。
1895年(明治28年)4月19日、貴族院勅選議員に任じられたが[1]、胃癌のため同年6月に福岡で死去。
栄典
- 位階
- 勲章
脚注
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、6頁。
- ^ 『官報』第3557号「叙任及辞令」1895年5月11日。
- ^ 『官報』第719号「賞勲叙任」1885年11月21日。
- ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
- ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。
- ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
滋賀県知事(官選第4代:1890年 - 1891年) |
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官選 |
犬上県 |
権令 |
- 神山郡廉 長浜県権令→犬上県権令
- ※1872年10月滋賀県と合併し廃止。
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