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この項目では、愛知県の自治体について説明しています。豊田市の地名については「扶桑町 (豊田市)」をご覧ください。 |
扶桑町(ふそうちょう)は、愛知県の北西部に位置し、丹羽郡に属する町。
概要
町の現況
愛知県の北西部に位置し、中部圏の中心である名古屋市から北に約20㎞の距離にある。扶桑駅から名鉄名古屋駅まで約30分、扶桑町役場から名古屋高速11号小牧線を経由して名古屋市都心部まで約30分という利便性の高い位置にあり、名古屋市のベッドタウンとして発展を続けている。
町名の由来
「扶桑」の名は、扶桑村が誕生した際の丹羽郡長が「本村は桑園多し、ゆえに扶桑と命名したならば」と述べたのを受けて名付けたとされる[1]。
地理
位置
日本のほぼ中央部、愛知県の北西部にあたり、濃尾平野の北部を占める扶桑町は、木曽川の流れによってできた犬山扇状地の扇頂近くの町である。御嶽山麓で生まれた木曽川が、木曽山脈・美濃三河高原の山中を、飛騨木曽川国定公園の美観を作りつつ流れ、ようやく山地を抜け、平野部へ出たところに位置している。
地形
町域は概ね平坦な地形で、木曽川が本町の北端を東から西に流れており、川沿いにはまとまった自然環境が残っている。
河川
- 一級河川
- その他の河川
地域
扶桑町は以下の地区(大字)で構成されている。
画像 |
大字 |
人口 |
世帯数
|
|
高雄 |
14,974 |
6,183
|
|
山那 |
1,093 |
401
|
|
小淵 |
771 |
310
|
|
南山名 |
2,922 |
1,154
|
|
斎藤 |
4,111 |
1,688
|
|
高木 |
2,247 |
1,041
|
|
柏森 |
8,750 |
3,854
|
計
|
|
35,017
|
14,780
|
気候
扶桑町の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
16.2 (61.2)
|
15.1 (59.2)
|
23.3 (73.9)
|
29.9 (85.8)
|
33.4 (92.1)
|
38.9 (102)
|
39.7 (103.5)
|
38.9 (102)
|
36.0 (96.8)
|
32.1 (89.8)
|
26.2 (79.2)
|
18.3 (64.9)
|
39.7 (103.5)
|
日平均気温 °C (°F)
|
3.6 (38.5)
|
3.9 (39)
|
10.4 (50.7)
|
16.4 (61.5)
|
19.2 (66.6)
|
24.2 (75.6)
|
27.4 (81.3)
|
28.2 (82.8)
|
25.9 (78.6)
|
18.2 (64.8)
|
14.2 (57.6)
|
5.9 (42.6)
|
16.5 (61.7)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−3.5 (25.7)
|
−3.7 (25.3)
|
−1.5 (29.3)
|
3.9 (39)
|
7.0 (44.6)
|
12.8 (55)
|
21.5 (70.7)
|
21.0 (69.8)
|
17.1 (62.8)
|
7.0 (44.6)
|
6.0 (42.8)
|
−3.0 (26.6)
|
−3.7 (25.3)
|
降水量 mm (inch)
|
25.5 (1.004)
|
37.5 (1.476)
|
91.5 (3.602)
|
103.0 (4.055)
|
143.0 (5.63)
|
111.5 (4.39)
|
536.0 (21.102)
|
307.0 (12.087)
|
228.5 (8.996)
|
73.0 (2.874)
|
110.5 (4.35)
|
28.0 (1.102)
|
1,795 (70.669)
|
% 湿度
|
59.9
|
62.0
|
55.3
|
60.5
|
58.0
|
67.0
|
72.9
|
73.3
|
71.3
|
63.2
|
66.4
|
66.2
|
64.7
|
出典:丹羽消防署 [2]
|
人口
1906年(明治39年)4ヶ村を合併し、扶桑村となった頃は、人口およそ7~800人余、戸数1400戸余の自治体であった。1952年(昭和27年)町制施行当時の人口は1万319人で、しばらく人口の変動は少なかった。1958年(昭和33年)の中島住宅以降、相次いで住宅団地が建設され、人口・世帯数ともに急増していった。1970年(昭和45年)1月に2万人、1974年(昭和49年)9月に2万5千人、1993年(平成5年)に3万人を突破。人口減少に悩む自治体が多い中、名鉄犬山線で名古屋に出やすく、のどかな住環境が受けて微増を続け、町制70年の節目に当たる2022年(令和4年)には3万5000人に達した[3]。愛知54市町村中44位。ただし、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2020年から2025年に町の人口は減少局面に入るとみられている。
|
扶桑町と全国の年齢別人口分布(2005年)
|
扶桑町の年齢・男女別人口分布(2005年)
|
■紫色 ― 扶桑町 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
扶桑町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
|
21,317人
|
|
1975年(昭和50年)
|
25,296人
|
|
1980年(昭和55年)
|
27,254人
|
|
1985年(昭和60年)
|
27,822人
|
|
1990年(平成2年)
|
29,210人
|
|
1995年(平成7年)
|
30,254人
|
|
2000年(平成12年)
|
31,728人
|
|
2005年(平成17年)
|
32,535人
|
|
2010年(平成22年)
|
33,558人
|
|
2015年(平成27年)
|
33,806人
|
|
2020年(令和2年)
|
34,133人
|
|
|
総務省統計局 国勢調査より
|
隣接する自治体
周辺の市町は東は犬山市(木津・上野新町・上野・橋爪・五郎丸)南は大口町(河北・上小口・中小口・余野)西は江南市(中般若・下般若・和田勝佐・山尻・江森・前野)と隣接し、北は木曽川を隔てて、岐阜県各務原市に相対している。
- 愛知県
- 岐阜県
歴史
戦国時代
安土桃山時代
江戸時代
慶長年間(1596年~1615年)、扶桑地内には次の8ヶ村があった[5]。
文政年間(1820年頃)にはこの8ヶ村に下野原新田村が加わり、9ヶ村が確認できる[5]。
各村の人口(1800年代初め)
村名 |
人口 |
現在の町域
|
犬山羽根村 |
78 |
高雄
|
下野村 |
1,237
|
下野原新田 |
282
|
北山名村[注釈 1] |
861 |
山那・小淵
|
岩手村 |
27
|
南山名村 |
650 |
南山名
|
斎藤村 |
594 |
斎藤
|
高木村 |
273 |
高木
|
柏森村 |
704 |
柏森
|
明治
大正
昭和
平成
令和
自治体の変遷
行政
町長
鯖瀬武(2020年(令和2年)5月13日就任、2期目[63][64])
歴代町長
町政が実施された1959年(昭和34年)1月28日に就任した初代、亀井定一から2020年(令和2年)4月26日に初当選した鯖瀬武まで、21代11人の町長がいる。
歴代扶桑町長
|
代a
|
代b
|
肖像
|
氏名
|
就任年月日
|
退任年月日
|
主な職歴
|
期数
|
備考
|
昭和時代(昭和天皇在位:1926年12月25日 - 1989年1月7日)
|
扶桑村長(公選)
|
1 |
1 |
|
近藤盛保 |
1947年(昭和22年)04月05日 |
1948年(昭和23年)09月13日 |
扶桑村議会議員 |
1 |
扶桑町初の公選村長
|
2 |
2 |
|
仙田 明一 |
1948年(昭和23年)10月20日 |
1950年(昭和25年)12月18日 |
陸軍軍人、陸上自衛官 |
1 |
|
3 |
3 |
|
亀井 定一 |
1951年(昭和26年)01月28日 |
1951年(昭和26年)01月27日 |
|
1 |
初代扶桑町長に引き続き就任
|
扶桑町長(公選)
|
1 |
1 |
|
亀井 定一 |
1951年(昭和26年)01月28日 |
1955年(昭和30年)01月27日 |
扶桑村長 |
1 |
扶桑町初の公選町長 1期目4年を満了
|
2 |
2 |
|
北折 博 |
1955年(昭和30年)01月28日 |
1959年(昭和34年)01月27日 |
扶桑村議会議員 |
2 |
1期目4年を満了
|
3 |
1959年(昭和34年)01月28日 |
1963年(昭和34年)01月27日 |
2期目4年を満了
|
3 |
4 |
|
仙田 明一 |
1963年(昭和38年)01月28日 |
1967年(昭和42年)01月27日 |
陸軍軍人、陸上自衛官 |
3 |
1期目4年を満了
|
5 |
1967年(昭和42年)01月28日 |
1971年(昭和46年)01月27日 |
2期目4年を満了
|
6 |
1971年(昭和46年)01月28日 |
1975年(昭和50年)01月27日 |
3期目4年を満了
|
4 |
7 |
|
亀井 淳二 |
1975年(昭和50年)01月28日 |
1979年(昭和54年)01月27日 |
株式会社亀井製作所創業者 |
2 |
1期目4年を満了
|
8 |
1979年(昭和54年)01月28日 |
1982年(昭和57年)09月28日 |
2期目途中で辞職
|
5 |
9 |
|
高木 正巳 |
1982年(昭和57年)10月24日 |
1984年(昭和59年)04月22日 |
扶桑町収入役、助役 |
1 |
1期目途中で辞職
|
6 |
10 |
|
千田 英明 |
1984年(昭和59年)05月13日 |
1988年(昭和63年)05月12日 |
扶桑町収入役、助役 |
2 |
1期目4年を満了
|
11 |
1988年(昭和54年)05月13日 |
1991年(平成03年)05月31日 |
2期目途中で辞職[注釈 2]
|
平成(明仁在位:1989年1月7日 - 2019年4月30日)
|
7 |
12 |
|
澤田 正夫 |
1991年(平成03年)06月09日 |
1995年(平成07年)06月08日 |
扶桑町収入役、助役 |
2 |
1期目4年を満了
|
13 |
1995年(平成07年)06月9日 |
1999年(平成11年)02月25日 |
2期目途中で辞職[注釈 3]
|
8 |
14 |
|
河田 幸男 |
1999年(平成11年)04月25日 |
2003年(平成15年)04月24日 |
扶桑町助役 |
2 |
1期目4年を満了
|
15 |
2003年(平成15年)04月25日 |
2004年(平成16年)08月01日 |
2期目途中で辞職[注釈 4]
|
9 |
16 |
|
江戸 満 |
2004年(平成16年)08月29日 |
2008年(平成20年)08月28日 |
陸上自衛官 |
3 |
1期目4年を満了
|
17 |
2008年(平成20年)08月29日 |
2012年(平成24年)08月28日 |
2期目4年を満了
|
18 |
2012年(平成24年)08月29日 |
2016年(平成28年)05月12日 |
3期目途中で辞職[注釈 5]
|
10 |
19 |
|
千田 勝隆 |
2016年(平成28年)05月13日 |
2020年(令和02年)05月12日 |
扶桑町議会議員 |
1 |
1期目4年を満了
|
令和(今上天皇在位:2019年5月1日 - )
|
11 |
20 |
|
鯖瀬 武 |
2020年(令和02年)05月13日 |
2024年(令和06年)05月12日 |
扶桑町役場総務部長 |
2 |
1期目4年を満了
|
21 |
2024年(令和06年)05月13日 |
現職 |
|
各種記録
肖像 |
氏名 |
情報
|
最年長の町長
|
|
江戸 満 |
71歳で町長就任。退任時は83歳で、愛知県内の首長の中で最高齢だった。
|
最年少の町長
|
|
仙田 明一 |
51歳で町長就任。扶桑村長の経験もあり、村長には37歳で就任していた。
|
任期の最も長い町長
|
|
仙田 明一 |
1963年(昭和38年)1月28日から1975年(昭和50年)1月27日まで、3期12年の任期を満了。
|
- 存命中の町長経験者
2022年(令和4年)5月12日に江戸満が死去したため、現職者の鯖瀬武を除く存命中の町長経験者は、千田勝隆のみである。
写真 |
氏名 |
在任期間 |
生年月日 |
現所属政党 |
現在の政治活動
|
|
千田勝隆
|
2016年 - 2020年
|
(1953-07-10) 1953年7月10日(71歳)
|
無所属
|
(2020年の扶桑町長選挙で落選。)
|
副町長
北折廣幸(2021年4月1日就任[69])
歴代副町長
代 |
氏名 |
就任日 |
退任日
|
1 |
関芳雄 |
2007年(平成19年)04月01日 |
2015年(平成27年)03月31日
|
2 |
渡辺誠 |
2015年(平成27年)04月01日 |
2019年(平成31年)03月31日
|
3 |
神田龍三 |
2019年(平成31年)04月01日 |
2020年(令和02年)06月30日
|
4 |
北折廣幸 |
2021年(令和03年)04月01日 |
現職
|
町政機関
- 町役場
総務部
|
秘書企画課、財政管財課、行政課
|
生活安全部
|
税務課、防災安全課、地域協働課、環境課
|
健康福祉部
|
戸籍保険課、福祉課、長寿介護課、健康推進課[注釈 6]
|
産業建設部
|
都市政策課、土木農政課、下水道課
|
教育部
|
学校教育課、生涯学習課、子ども課
|
財政
2022年度扶桑町当初予算
一般会計 |
114億4300万円 |
7.9%
|
特別会計 |
60億1527万円 |
1.1%
|
下水道事業会計 |
11億7897万円 |
9.4%
|
総額 |
186億3725万円 |
5.7%
|
町章
1966年(昭和41年)7月、扶桑村創立60周年記念、扶桑町役場新庁舎竣工記念として扶桑町のシンボルマークである町章を一般募集し、1967年(昭和42年)4月1日に制定された[15]。
扶桑の「ふ」の字を図案化し、扶桑町が将来に向って発展し続けるよう希望をこめたもの[70]。
広域行政
議会
扶桑町議会
愛知県議会
1947年(昭和22年)に戦後、最初の県議会議員選挙が行われた。当時の丹羽郡は定員3名で、現在の犬山、江南、岩倉、扶桑、大口が選挙区であった。1959年(昭和34年)からは犬山市、江南市が独立し、岩倉、扶桑、大口で定員1名となり、1975年(昭和50年)からは岩倉市が独立し、現在は扶桑、大口の両町で定員1名となっている。
- 歴代選出議員
選挙期日 |
当選者名 |
有権者数 |
投票者数 |
投票率
|
1947年4月30日 |
松浦浅吉 |
62,990 |
56,580 |
89.82
|
安藤信太郎
|
武馬繫三郎
|
1951年4月30日 |
石田千太郎 |
61,359 |
55,470 |
90.40
|
松浦浅吉
|
安藤信太郎
|
1955年4月23日 |
石田千太郎 |
64,912 |
51,144 |
78.79
|
松浦浅吉
|
安藤信太郎
|
<犬山、江南単独区に>
|
1959年4月23日 |
伊藤辰次郎 |
無投票
|
<岩倉単独区に>
|
1963年4月17日 |
社本鋭郎 |
7,685 |
6,086 |
79.19
|
1967年4月15日 |
無投票
|
1971年4月11日
|
1975年4月13日 |
仙田明一 |
無投票
|
1979年4月8日
|
1983年4月17日 |
大竹喜久雄 |
18,235 |
8,616 |
47.25
|
1987年4月12日 |
無投票
|
1991年4月7日
|
1995年4月9日
|
1999年4月11日 |
藤川政人 |
|
|
|
2003年4月13日 |
無投票
|
2007年4月8日 |
42,106 |
20,013 |
47.53
|
2010年8月1日[注釈 7] |
鈴木喜博 |
44,292 |
17,189 |
38.81
|
2011年4月11日 |
無投票
|
2015年4月12日
|
2019年4月7日
|
2023年4月9日
|
過去の選挙
- 2010年愛知県議会丹羽郡選出議員補欠選挙
- 選挙区:丹羽郡選挙区(大口町、扶桑町)
- 定数1人
- 投票日:2010年8月1日
- 当日有権者数:44,292人[71]
- 投票率:38.81%[71]
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数
|
鈴木喜博 |
当 |
54 |
自由民主党 |
新 |
9,427票
|
鬼頭直樹 |
落 |
30 |
民主党 |
新 |
7,404票
|
衆議院
施設
警察
- 愛知県犬山警察署(本署は犬山市)
- 柏森交番(柏森辻田738)
- 高雄駐在所(高雄北東川229)
- 山名駐在所(南山名野田浦61)
消防
- 丹羽消防署(大口町)
- 扶桑出張所 - 1996年(平成8年)4月1日業務開始[73]。
医療・福祉
町内に拠点となる総合病院はない。町から近い病院としては江南厚生病院(江南市)やさくら総合病院(大口町)、総合犬山中央病院(犬山市)などがある。
郵便
- 扶桑郵便局 - 1881年(明治14年)3月11日、柏森郵便局として開局[74]。1909年(明治42年)6月1日、扶桑郵便局に改称。
- 扶桑駅前郵便局 - 1961年(昭和36年)4月開局[75]。
- 柏森駅前郵便局 - 1968年(昭和43年)11月開局[75]。
- 扶桑高雄郵便局 - 1969年(昭和44年)4月開局[75]。
文化施設
交流施設
社会体育施設
総合体育館を始め総合グラウンド、町民テニスコート、緑地公園グラウンド、北部グラウンドがあり、広く町民に利用されている。
公園
市街化区域内を中心に、街区公園(6ヶ所、1.41ha)と都市緑地(3ヶ所、13.05ha)が指定されている。なお、市街化区域の一部には都市公園のない地区があり、児童遊園はあるものの、公園的機能は少ない傾向にある。
- 都市公園
扶桑町では、以下の8ヶ所の都市公園が整備されている[78]。
- 柏森駅前公園
- 柏森北公園
- 柏森長畑公園
- 高雄公園
- 高雄南公園
- 斉藤公園
- 木曽川扶桑緑地公園
- 柏森東山緑地公園
- 普通公園
対外関係
姉妹都市・提携都市
扶桑町には2021年現在、姉妹都市・提携都市は存在しない。
海外
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された2005年日本国際博覧会(愛知万博)では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われ、名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた[79]。
経済
農業
- 農業協同組合
工業
- 扶桑町創業の企業
- 町内に本社を置く企業
- 町内に工場を置く企業
企業名 |
事業所名 |
竣工年 |
所在地
|
村田機械 |
犬山事業所 |
1962年4月 |
高雄北郷[注釈 9]
|
キッコーナ |
扶桑工場 |
1963年4月 |
南山名西ノ山50
|
CKD |
犬山工場 |
1963年12月 |
高雄字南郷356
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旭有機材 |
愛知工場 |
1968年5月 |
南山名西ノ山新津26-4
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- 町内に倉庫を置く企業
企業名 |
事業所名 |
竣工年 |
所在地
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東洋水産 |
中部物流センター |
2009年1月 |
高雄突田65-3
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サントリー |
名古屋北支店 |
調査中 |
南山名字西ノ山42-2
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三菱商事都市開発 |
MCUD小牧北 |
2024年4月 |
南山名字西ノ山200-1
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商業
- 主な商業施設
金融機関
教育
高等学校
- 県立
- 私立
中学校
- 町立
小学校
- 町立
- 学区
扶桑町立小中学校区[82]
柏森小学校(南部) |
斎藤東、斎藤西、斎藤中、斎藤南、斎藤北、緑ヶ丘、高木東、高木西 柏森東1区、柏森東2区、柏森西、柏森南、柏森北、中島、花立、柏森レインボー
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高雄小学校(西部) |
北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、扶桑住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台
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山名小学校(北部) |
山那、小淵、大門、森、前野、野田、西村、寺前、中村住宅、扶桑紡績
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扶桑東小学校(東部) |
南新田、高雄住宅、南定松、北定松、福塚、平塚、公団住宅
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扶桑中学校 |
斎藤東、斎藤西、斎藤中、斎藤南、斎藤北、緑ヶ丘、高木東 柏森東1区、柏森東2区、柏森西、柏森南、柏森北、中島、花立、柏森レインボー 南新田、高雄住宅、南定松、北定松、平塚、公団住宅
|
扶桑北中学校 |
北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、扶桑住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台 山那、小淵、大門、森、前野、野田、西村、寺前、中村住宅、扶桑紡績、※福塚、※高木西
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生涯学習
2002年より、町立の小中学校に聴講生制度を導入している。希望すれば一般の人が小中学校の授業を受講できる。小中学校に導入したのは扶桑町が全国初[83]。
制度開始から20年を迎えた2022年には、扶桑町立扶桑東小学校で小学生と一緒に図画工作の授業を受ける80歳の男性がメディアに取り上げられて話題になった[83]
[84]。
交通
国道41号線、主要地方道一宮犬山線をはじめ諸道路が整備され、自動車を使えば一宮市や名古屋空港へは30分程度、名神高速道路小牧インターチェンジ、中央自動車道小牧東インターチェンジには2、30分の距離である。また、犬山橋、ライン大橋、愛岐大橋などにより、岐阜県側との交流がいっそう容易になるという交通上恵まれた位置に立地している。
鉄道
名鉄犬山線で名古屋市・岐阜市へは30分前後、犬山市・江南市へ10分以内で結ばれ、さらに名古屋市から新幹線を利用すれば東京や大阪も日帰りビジネス圏である。
- 名古屋鉄道
- IY名鉄犬山線:柏森駅 - 扶桑駅 - 木津用水駅
名鉄犬山線は尾北地域や隣接する岐阜県可児市、各務原市方面と産業経済、教育文化の中心地である名古屋方面を結ぶ公共交通機関として、多くの人々に利用されている。昭和30年代後半からは、名古屋圏のベッドタウンとして、沿線各地に住宅団地やアパートなどが次々と建設されて、犬山線の利用者は急増した。さらに昭和40年代以降は、名古屋圏も大きく発展し、住宅地に好適な丘陵地を持った犬山市や可児市、各務原市方面へ年を追うごとに広がり、犬山線の利用者は増加の一途をたどった。なかでも通勤通学者の集中する朝晩のラッシュアワーの混雑ぶりは甚だしいものがあった。
扶桑町内には、南から柏森駅、扶桑駅、木津用水駅の3駅が設置されている。3駅とも名鉄犬山線開通時(1912年〈大正元年〉8月6日)より設けられていた。1993年(平成5年)に名古屋市営地下鉄鶴舞線と相互直通運転を開始し、2005年(平成17年)の中部国際空港開業時には空港直通の列車も設定されるなど、県内他地域へのアクセス性が向上している。
町内3駅の乗降客数(1日平均)の推移は次のようである[85][86]。
年代 |
柏森駅 |
扶桑駅 |
木津用水駅 |
合計
|
1993年 |
1,0742人 |
5,214人 |
1,849人 |
17,805人
|
2013年 |
10,337人 |
6,285人 |
2,009人 |
18,631人
|
2022年 |
09,323人 |
5,847人 |
1,865人 |
17,035人
|
2022年度、名鉄犬山線全20駅中、柏森駅は9位(9,323人)、扶桑駅は12位(5,847人)、木津用水駅は17位(1,865人)であった[87]。
バス
扶桑町では2023年現在、バスは運行されていない。地方公共団体が運行するコミュニティバスがないのは県内で扶桑町のほか、江南市、岩倉市のみ[88]。
過去に名鉄バスが一宮・犬山線、浄心線、小淵・江南線の3つの路線を運行していた。小淵・江南線は1960年(昭和35年)7月、地元民の要望に応えて誕生したが、自家用車の普及によりバス利用者は減少し廃線となり、1998年(平成10年)に扶桑町内を運行する路線バスはなくなった。なお、名鉄バスは2009年(平成21年)に、イオンモール扶桑と扶桑駅、柏森駅を結ぶ路線も開設したが、これも2010年(平成22年)に廃止となった。
デマンド型交通
道路
昭和30年代(1955年)に入って、中部圏の産業、経済の飛躍的な発展に伴い、道路輸送が急激に増加して道路網の整備が急務となった。扶桑町では、その立地条件から名古屋市の衛星都市的性格を強め、住宅の建設や工場誘致などが行われた。また、1969年(昭和44年)10月には町東部を国道41号線が貫通して、ますます交通量が増加してきたので、町の都市計画(総合計画)の重点目標の一つとして道路整備を取り上げ整備に努めてきた。現在扶桑町の主要な幹線道路は、国道、県道と都市計画道路がその役割を担っており、国道は41号の1路線、県道は主要地方道の一宮・犬山線(中央道)をはじめ8路線である。
都市計画法の施行(1969年)に基づいて1970年(昭和45年)に扶桑町都市計画が策定され、重要課題の一つとして道路の整備事業が取り上げられた。それにより、道路の新設、従来の道路の拡幅、歩道の整備、街路樹の植栽など、順次整備改良工事が進められてきている。都市計画道路として指定されているのは次の11路線[90]。総延長約 17,700m。うち国道1路線、県道6路線、町道4路線。2021年(令和3年)3月時点の整備率は 63.1%。国道41号線と小淵江南線は現在事業が進められている。
その他
- 町内の道路通称名
- 緑道
橋梁
ナンバープレート
扶桑町は、尾張小牧ナンバーが割り当てられている。
寺社・史跡
神社
-
柏森神社
-
-
楉埜神社
-
神明社
-
高熊神社
-
託美神社
-
葉森神社
-
-
-
名称 |
等級 |
社格
|
楉埜神社 |
八等級 |
郷社
|
前利神社
|
山那神社 |
九等級 |
郷社
|
山那神社 |
十等級 |
村社
|
柏森神社 |
十一等級 |
村社
|
託美神社 |
十二等級 |
村社
|
高熊神社
|
神明社 |
十三等級 |
村社
|
船塚神社 |
十五等級 |
無格社
|
寺院
- 開覚寺(南山名寺前57)
- 観音寺(高雄南郷330-2)
- 地蔵寺(高木976)
- 仙林寺(高雄伊勢帰289)
- 善光寺(柏森前屋敷131)
- 薬師寺(小淵堤南1391)
名称 |
宗派 |
創建
|
金常山白雲寺 |
臨済宗 |
706年(慶雲3年)
|
金華山覚王寺 |
臨済宗 |
1330年(元徳2年)
|
金寳山薬師寺 |
臨済宗 |
1532年~1554年(天文年間)
|
大興山悟渓寺 |
臨済宗 |
1699年(元禄12年)
|
観音寺 |
臨済宗 |
1744年(延享元年)
|
正眼山安穏寺 |
曹洞宗 |
1749年(寛延2年)
|
子安山仙林寺 |
臨済宗 |
1821年(文政4年)
|
開覚寺 |
天台宗 |
1896年(明治29年)
|
善光寺 |
浄土宗 |
1898年(明治31年)
|
仏光山東漸寺 |
臨済宗 |
不詳
|
金毛山龍泉寺 |
臨済宗 |
不詳
|
多福山顕法寺 |
臨済宗 |
不詳
|
医王山正覚寺 |
臨済宗 |
不詳
|
延命山地蔵寺 |
臨済宗 |
不詳
|
解脱山専修院 |
浄土宗 |
不詳
|
古墳
扶桑町内の古墳時代の研究は、鳥居龍蔵が遠藤甚吉の発見した須恵器横瓶を鑑定したのに始まる。1931年(昭和6年)に発刊された『扶桑村誌』には、元亀塚、樫の木塚についての記録がある。1964年(昭和39年)、長泉塚古墳が愛知県指定文化財に登録された。現在、古墳の原形をほぼとどめているのは長泉塚古墳と舟塚古墳の二つ。しかし、他の地区からも古墳時代の遺物である直刀、土師器、須恵器などが出土することから、他にもいくつかの古墳が存在していたと考えられる[93]。
文化
名産品
文化財
- 国の登録有形文化財
画像 |
登録名称 |
時代 |
所有者名 |
登録年月日 |
所在地
|
|
覚王寺本堂 |
1814年(文化11年) |
宗教法人覚王寺 |
2005年07月12日 |
高雄南屋敷135
|
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覚王寺庫裏 |
1840年(天保11年)
|
|
覚王寺大日堂 |
1794年(寛政6年)
|
|
覚王寺鐘楼 |
1034年(昭和9年)
|
|
覚王寺山門 |
1902年(明治35年)
|
|
川田家住宅主屋 |
1891年(明治24年)頃 |
個人 |
2018年11月02日 |
南山名字前ノ前49
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- 愛知県指定有形文化財
画像 |
登録名称 |
時代 |
所有者名 |
登録年月日 |
所在地
|
|
長泉塚古墳 |
古墳時代後期 |
長船塚保存会 |
1964年(昭和39年) |
高雄字中屋敷37-1
|
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鋳造誕生仏立像 |
平安時代 |
顕宝寺 |
1979年(昭和54年) |
南山名寺前28
|
- 町指定文化財
画像 |
名称 |
時代 |
指定年月日 |
所在地 |
区分
|
|
舟塚古墳 |
古墳時代後期 |
1974年(昭和49年)10月22日 |
高雄定松郷135-1 |
史跡
|
|
小淵の渡し跡 |
江戸時代 |
1974年(昭和49年)8月 |
小淵字小淵新開1185・1186合併地 |
史跡
|
|
旧岩手村の塚 |
1600年頃 |
1982年(昭和57年)1月 |
小淵中島1567 |
史跡
|
|
恵心庵 |
不明 |
不明 |
高木字白山前772 |
史跡
|
|
悟渓屋敷 |
1630年(寛永7年) |
不明 |
南山名字本郷94-2 |
史跡
|
|
奉献常夜灯 |
江戸時代後期 |
不明 |
山那木曽川堤 |
史跡
|
|
般若用水元杁跡 |
1634年 |
1988年(昭和63年)1月25日 |
小淵南堀場1415-3~4 |
史跡
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|
山那神社のケヤキ |
不明 |
1982年(昭和57年)1月 |
南山名字森1 |
天然記念物
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専修院東門 |
不明 |
不明 |
柏森乙西屋敷62-1 |
建造物
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|
聖観音座像 |
不明 |
不明 |
高木字白山前772(福塚公民館) |
彫刻
|
|
正覚寺の十二神将像 |
不明 |
不明 |
斎藤県タ21-1 |
彫刻
|
|
頭椎直刀 |
不明 |
不明 |
高木稲葉63 |
考古資料
|
|
儀典用端折長柄傘 |
不明 |
不明 |
山那屋敷地611-1 |
無形文化財
|
|
おんからかみ |
不明 |
不明 |
小淵本郷1231 |
無形文化財
|
|
大般若経 |
不明 |
不明 |
斎藤県タ21 |
書跡
|
|
切支丹関係古文書 |
不明 |
不明 |
|
書跡
|
|
前利神社掛軸 |
不明 |
不明 |
斎藤宮添1 |
書跡
|
ふるさと納税
町内にメガネ赤札堂の本社があることから、レイバンのサングラスやハズキルーペ、補聴器などをふるさと納税の返礼品にしていたが、総務省から地場産品ではないとの指摘を受け、2018年12月をもってメニューから外した[94]。寄付者の8割がメガネ赤札堂の関係商品を返礼品に希望していたため、寄付額はこれ以降大きく落ち込んでいる[95]。
年度 |
金額
|
2018年 |
1,237万円
|
2020年 |
227万円
|
2022年 |
586万円
|
町制施行以前の出身者
- 南山名村
- 高雄村
- 扶桑村
町制施行以後の出身者
政界
官吏
音楽家
芸能人
名誉町民
扶桑町では1981年(昭和56年)3月28日、扶桑町名誉町民条例が制定されている。町民もしくは町に深いゆかりを持つ者で、政治・経済・文化等を通じ、社会の発展のため大きな功績を残すとともに、人格、識見が優れ、町民の尊敬を受ける者に贈られる称号である。しかし、現在まで名誉町民には一人も推挙されていない[96]。
扶桑町にゆかりのある人物
脚注
注釈
参考文献
- 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 上』扶桑町、1998年。
- 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 下』扶桑町、1998年。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
扶桑町に関連するカテゴリがあります。
外部リンク