日本母親大会(にほんははおやたいかい)は、日本の反核平和の女性運動を基盤とした社会運動・教育問題の大会である。1955年6月に第1回大会が開催された。「原水爆禁止」「子どもの生命を守る」の訴えを原点としている。
概説
1954年にビキニ環礁でアメリカ合衆国による水爆実験の事件で世界に衝撃が起こった。同年に女性運動家平塚らいてうらによる「原水爆禁止」の訴えがきっかけとなり、「原子戦争の危機から子どもの生命を守る母親の大会を」として、1955年6月7日、第1回「日本母親大会」を開催した。同年7月には世界68カ国が参加する世界母親大会がスイスのローザンヌで開催された。日本からは河崎なつを団長とする代表団14人が参加した[1]。
第1回(1955年)から第7回(1961年)まで東京で開催されたが、第8回(1962年)に大阪で東京以外で初めての大会が行われた。大会では第1回から第6回までは3日間であったが、第7回から現在まで2日間で行い1日目は全体会で、2日目は分科会となっている。記念講演、教育問題・社会問題などの講座・シンポジウムなどを行っている。参加団体には47都道府県の実行委員会、50の中央団体が参加している。
母親を「母性を持つすべての女性を対象にした呼び名」と位置づけ、「生命を生み出す母親は生命を育て生命を守ることをのぞみます」のスローガンを掲げ、女性団体・社会運動団体・労働組合・教育問題を取り扱う市民団体などで構成される実行委員会の主催、開催地教育委員会やマスメディアなどの後援により毎年開催される。開催県は持ち回りとなっており、第58回(2012年)は新潟、第57回(2011年)は広島、第56回(2010年)は福島である。関連行事として都道府県や市町村単位の大会も存在する。大会の出席資格はなく、男性でも、未婚でも、児童でも誰でも参加でき、講師も男女を問わず招聘している。
大会開催概要
回次
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開催日
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開催県
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参加総数
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記念講演
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備考
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第57回
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2011年7月30・31日
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広島県
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約8000人
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湯浅誠「貧困なくし人間らしく生きられる社会をつくる」
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クミコ歌唱
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第58回
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2012年8月25・26日
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新潟県
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斎藤貴男「貧困と格差のない社会を」
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ナターシャ・グジー演奏
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参加団体
脚注
- ^ 『画報現代史 補巻第15集』国際文化情報社、1957年10月15日。
関連人物
関連項目
外部リンク