本斗町(ほんとちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
本斗という地名は、アイヌ語の「ポン・トー・ケシ」(小さな湖の端)、「ポン・ツ・ケシ」(小さな岬の端)による[2]。
現在はロシア連邦がサハリン州ネベリスク (Невельск) として実効支配している。
概要
- 樺太では珍しい、製紙工場を背景とせず、林業や漁業を中心として発達した町であった。
- 日本人との関わりも大変古く、1295年に日持が日蓮宗の布教活動の為に町内にあたる阿幸(ヤスノモルスキー)に上陸したと言われている。
歴史
町内の地名
- 旧本斗村地域
- 本斗
- 北本斗
- 浜本斗
- 汐見台(しおみだい)
- 遠節(とおぶし)
- 遠節沢(とおぶしざわ)
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- 吐鯤保(とこんぼ)
- 吐鯤保沢(とこんぼざわ)
- 良音問(らねとい)
- 鳥舞(とりまい)
- 鳥舞沢(とりまいざわ)
- 北沢(きたざわ)
- 南浜(みなみはま)
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- 旧阿幸村地域
- 阿幸
- 麻内(あさない)
- 知根平(ちねひら)
- 阿幸沢(おこうざわ)
- 麻内沢(あさないざわ)
([3])
交通
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]。
国民学校
- 樺太公立知根平国民学校
- 樺太公立麻内国民学校
- 樺太公立阿幸国民学校
- 樺太公立遠節国民学校
- 樺太公立遠節沢国民学校
- 樺太公立本斗国民学校
- 樺太公立吐鯤保沢国民学校
中等学校
観光
脚注
- ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.278
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1685 - 86、p. 1693
- ^ 明治・大正・昭和の鉄道地図を読む (中村建治・著、イカロス出版、2013年2月15日発行)41頁(引用元は『鐡道交通案内圖』(松榮堂、1944年4月25日発行))
関連項目
外部リンク