本田 正次(ほんだ まさじ、1897年1月20日 - 1984年7月1日[1])は、熊本県熊本市出身の植物学者。東京大学名誉教授。昭和天皇の植物研究の相手も務め、伊豆や那須に同行した。
経歴
1897年(明治30年)1月20日、熊本県熊本市に生まれた[2]。熊本県立熊本中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)5月に東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、同時に東京帝国大学助手に任じられた[2]。
1931年(昭和6年)3月に博士(理学)の学位を授与され、1934年(昭和9年)4月に東京帝国大学助教授に就任した[2]。1940年(昭和15年)7月には史蹟名勝天然紀念物調査会臨時委員となり、1942年(昭和17年)9月には史蹟名勝天然紀念物調査会委員となった[2]。同年12月には東京帝国大学教授に就任した[2]。
1943年(昭和18年)12月には東京都から史跡名勝天然紀念物調査を嘱託され、1944年(昭和19年)3月には国から天然紀念物調査を嘱託された[2]。戦後の1950年(昭和25年)12月には文化財専門審議会専門委員に併任され、1952年(昭和27年)5月には東京都文化財専門委員を委託された[2]。1952年(昭和27年)12月まで東京大学理学部付属植物園(小石川植物園)の園長を務めた[2]。1957年(昭和32年)3月に定年で東京大学を退官し、5月には東京大学名誉教授となった[2]。
1970年(昭和45年)には勲三等旭日中綬章を受章した。1984年(昭和59年)7月1日に死去した。
受賞・受章
著書
単著
- 『全植物辞典 色彩図版』河野成光館、1939年
- 『日本植物名彙』三省堂、1939年
- 『実や種子の散り方』岩崎書店、1951年
- 『草木春秋』石崎書店、1953年
- 『植物の世界』偕成社、1954年
- 『植物文化財 天然記念物・植物』本田正次教授還暦記念会、1957年
- 『日本植物記』東京書籍〈東書選書〉、1983年
- 『植物学のおもしろさ』朝日新聞社〈朝日選書〉、1988年
共著
- 本田正次、向坂道治『大綱 植物分類学」綜合科学出版協会、1930年
- 本田正次、松原益太『植物の分類及系統 植物の生態並分布』地人書館、1935年
- 本田正次、林弥栄『日本のサクラ』誠文堂新光社、1974年
脚注
- ^ 「本田正次」 日外アソシエーツ『20世紀日本人名辞典』2004年。2023年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 本田正次『植物文化財 天然記念物・植物』本田正次教授還暦記念会、1957年、p.439
外部リンク
ウィキスピーシーズに
本田正次に関する情報があります。