杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 2020年9月6日)は、日本の医学者(生化学・腫瘍学)・医師。学位は、医学博士(東京大学・1957年)。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長、国立がん研究センター名誉総長。日本学士院会員。文化功労者。位階は従三位、勲等は勲一等。
東京大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員、国立がんセンター研究所研究員、国立がんセンター研究所生化学部部長、国立がんセンター研究所所長、国立がんセンター総長、東邦大学学長、日本学士院院長などを歴任した。
概要
生化学と腫瘍学を専攻する東京府出身の基礎医学研究者である。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授に併任された。国立がんセンターの総長に就任し、のちに名誉総長の称号を贈られた。後身の国立がん研究センターにおいても名誉総長となっている。また、東邦大学の学長に就任し、のちに名誉学長の称号を贈られた。日本学士院会員に選任され院長に就任するとともに、米国・スウェーデン・オランダ学士院外国会員にも選任された。山形県鶴岡市および東京都武蔵野市の名誉市民にも選ばれている[1][2][3]。癌医学界の重鎮として長年にわたって活躍した。文化勲章、および、勲一等瑞宝章を受章した。
来歴
父親が鶴岡市出身で、東大医学部在学中は庄内地方の師弟が入る学生寮「荘内館」で生活し、インターンでは旧鶴岡保健所や市立荘内病院に勤務した[4]。
国立がんセンター総長を務め、がん治療の進歩に尽力した[5]。
地元出身者の縁故者で、国内外で高い評価を得ているとして、1987年に鶴岡市から名誉市民に選ばれ[4]、1992年には武蔵野市からも名誉市民に選ばれる。文化勲章や日本国際賞なども授与されたほか、日本学士院長や東邦大学長も務めた[5]。
2020年9月6日、心不全のため、東京都内の病院で死去[6]、94歳。死没日をもって従三位に叙される[7]。
親族
叔父に、文筆家・杉村顕道(宮城県芸術協会理事長・宮城県教育文化功労者)、洋画家・杉村惇(日展参与・宮城教育大学名誉教授・仙台市名誉市民)、遠縁に、漢学研究家・犬塚又太郎(致道博物館初代館長理事・常任顧問)がいる。
略歴
- 1949年3月 東京大学医学部医学科卒業
- 1950年3月 東京大学医学部助手(放射線医学教室)
- 1954年4月 財団法人癌研究会癌研究所助手所員
- 1957年10月 アメリカ国立癌研究所生化学部留学(1959年6月まで)
- 1959年7月 ウエスタンリザーブ大学留学(生化学教室 1960年10月まで)
- 1960年12月 財団法人癌研究会癌研究所研究員所員
- 1962年7月 国立がんセンター研究所生化学研究員
- 1964年11月 国立がんセンター研究所生化学部長
- 1970年8月 東京大学医科学研究所教授併任(1988年3月まで)
- 1972年5月 国立がんセンター研究所副所長
- 1974年9月 国立がんセンター研究所所長
- 1984年7月 国立がんセンター総長
- 1992年1月 国立がんセンター名誉総長
- 1992年1月 厚生省顧問(1994年7月まで)
- 1994年7月 東邦大学学長(2000年6月まで)
- 2013年10月 第25代日本学士院院長(2016年10月まで)
- 2020年9月6日 死去
役職
賞歴
栄典
著書
共編著
- 『胃がん』村上忠重共編 バイオメジカルシリーズ 講談社 1974年
- 『岩波講座現代生物科学 15 癌』山村雄一共編 岩波書店 1976年
- 『がん その分子生物学、細胞生物学からその医科学、環境科学まで』山村雄一共編 共立出版 1979年
- 『がんと人間』長尾美奈子、垣添忠生共著 岩波新書、1997年
翻訳
- マイケル B.シムキン『がんの科学』監訳 共立出版 1977年
脚注
外部リンク