松岡 勝蔵(まつおか かつぞう、1889年(明治22年)1月29日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。
経歴
1889年(明治22年)に神奈川県で生まれた。陸軍士官学校第23期卒業。1936年(昭和11年)12月に飛行第16連隊長に就任し、1937年(昭和12年)8月に陸軍航空兵大佐に進級した。1938年(昭和13年)6月30日に明野陸軍飛行学校附となり、8月9日に明野陸軍飛行学校幹事に就任し、1939年(昭和14年)8月に第12飛行団長に転じた。
1940年(昭和15年)3月9日に陸軍少将に進級し、8月1日に熊谷陸軍飛行学校附を経て、10月1日に大刀洗陸軍飛行学校長に就任した。1943年(昭和18年)10月29日に陸軍中将に進級し、熊谷陸軍飛行学校長に着任。12月11日に第51教育飛行師団長(第1航空軍)に親補され、岐阜県で航空兵の教育を行ったが、戦局の悪化により同師団が第51航空師団(航空総軍)に改称されると、1945年(昭和20年)2月20日に同師団長に転じ[3]、実戦配備されたが、在任中の6月23日に死去。
脚注
参考文献