5代 桜井 伊兵衛(さくらい いへえ、1887年(明治20年)11月2日[1] - 1966年(昭和41年)11月7日)は、明治時代後期から昭和時代の地主[1]、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は徳太郎。
経歴
4代桜井伊兵衛の長男[4]として群馬県西群馬郡高崎本町(高崎町を経て現高崎市)に生まれ、伊兵衛を襲名する。1905年(明治38年)東京府開成中学校を卒業する。1910年(明治43年)高崎銀行監査役に就任したほか、上毛貯蓄銀行相談役、高崎板紙、高崎製飴、群馬紡績各取締役などを歴任した。1917年(大正6年)には高崎政友倶楽部を組織し会長となった。
1918年(大正7年)、群馬県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1925年(大正14年)9月28日まで在任。1926年(大正15年)高崎市教育会長となった。その他、群馬県教育会副会長、帝国教育会評議員・理事、高崎市農業会長、高崎市商業会議所特別議員、群馬県農会議員などを務めた[4]。
戦後は、群馬大学、群馬県立高崎女子高等学校の振興会長などを務めた[4]。
親族
脚注
- ^ a b 『大正人名辞典 第3版』140頁。
- ^ a b c 『群馬新百科事典』342頁。
- ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。
参考文献