森本 将太
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福井県坂井市 |
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生年月日 |
(1992-05-25) 1992年5月25日(32歳) |
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身長 体重 |
173 cm 70 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
NPB / 2012年 ドラフト5位 |
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初出場 |
NPB / 2013年3月30日 |
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最終出場 |
NPB / 2015年8月13日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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森本 将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )は、福井県坂井市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
小学3年生で野球を始め、中学生時代には福井ブレイブボーイズに所属していた[1]。
福井工業大学附属福井高校への進学後は、1年時からベンチ登録を果たし、2年春からエースに定着。2年夏の福井県大会では、山田修義を擁する敦賀気比高校との決勝戦に登板し、7回2失点と好投したが、チームは敗戦し、全国大会への出場を逃した。その後、高校2年の冬に肩を痛めた影響で3年時には2番手投手に降格。夏の県大会では、福井商業高校との準決勝に救援で登板したが、逆転負けを喫した。この大会を最後に野球を辞めることを決意し、大学の野球部や社会人野球のチームからの誘いを断り、野球関連以外の企業から入社の内定を得た[2]。
BCリーグ・福井時代
野球に厳しい実父の強い意向(詳細後述)を受けて、「2年だけ野球を続ける」という条件[3]で、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の地元球団である福井ミラクルエレファンツの入団テスト[2]に参加。このテストへの合格を経て、入団に至った[4]。
入団1年目の2011年には、リーグ戦で3勝6敗という成績にとどまったが、2012年には、リーグ戦21試合に登板し、10勝9敗、リーグ3位の防御率1.98、リーグ2位の128奪三振とエース格の働きを見せ[4]、チームを地区優勝に導いた[2]。
2012年のNPBプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名。契約金2,500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した[5]。この会議では、チームメイトの西川拓喜も、オリックスからの育成ドラフト2巡目指名を受けて入団した。
オリックス時代
2013年には、春季キャンプを二軍で迎えたものの、オープン戦の途中から一軍に昇格。登板6試合(5回3分の2イニング)で1失点という好成績を挙げ、新人選手では唯一の開幕一軍登録を勝ち取った[3]。公式戦の開幕後には、救援投手として主にビハインドでの場面で登板したが、防御率8.10という不調で4月に登録を抹消。6月に再び登録されると、7月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で一軍初勝利を挙げた。一軍公式戦全体では、25試合の登板で2勝1敗1ホールドをマーク。防御率は5.90で、奪三振(25)とほぼ同数の与四球(22)・失点(20)を記録するなど、制球面で課題を残した。
2014年には、フレッシュオールスターゲームでウエスタン・リーグ選抜のメンバーとして登板[6]。一軍公式戦への登板機会はなく、同リーグの公式戦でも、20試合の登板で1勝6敗、防御率6.12という成績にとどまった。
2015年には、一軍公式戦2試合に登板。ウエスタン・リーグ公式戦では、29試合の登板で、0勝4敗、防御率5.55を記録した。
2016年には、一軍公式戦への登板機会がなく、10月2日に球団から戦力外通告を受け[7]、現役を引退。12月2日に、NPBから自由契約選手として公示された[8]。
現役引退後
地元の福井県で一般企業に勤務しながら、出身チームの福井ブレイブボーイズでコーチを務めている[9]。
選手としての特徴
身長173cmと小柄な身体から、スリークォーターで投げ込む最速159km/hのストレート[5]、打者に『一瞬消えた』と思わせるほどの切れ味を持つスライダー[2]、カーブが武器。「2年だけ野球を続けるつもりだったので、BCリーグのレベルを舐めていた」という福井時代の1年目には、3勝に終わったリーグ戦の終了後に、投球フォームを右肩へ負担のかからないように改良した。さらに、走り込みなどのトレーニングに励んだ結果、60キログラム台だった体重が70キログラムに増加。最速151km/hのストレートを投げられるようになった[4]。
人物
小中学校時代には、野球の練習へ行くことを嫌がるたびに、実父から練習に連れて行かれた。しかし、高校で野球を辞めることを実父に伝えたところ、実父から「プロ野球選手になる可能性があるのに諦めてほしくないから、野球を続けて欲しい」と懇願された。森本自身は、オリックスへの入団直後に、「『巨人の星』の星一徹みたいだった実父に頭を下げられた以上、野球を続けるしかなかった。その時点で大学や社会人野球チームのセレクション(選考試験)がすべて終了していたため、福井の入団テストに参加したところ、運良く拾ってもらった」「子どもの頃から『小さいから通用しない』と言われていたが、高校でも福井でも何とかなった」と語っている[2]。
福井時代の2012年に結婚。オリックスへ入団した翌2013年の春季キャンプ中(2月)に、第1子(長男)を授かった[3]。このような事情から、2013年中には、家族を福井に残したまま関西地方で単身生活を送っていた[2]。
2016年2月の春季キャンプ期間中には、姓名の読み方が同じである毎日放送所属のスポーツアナウンサー・森本尚太からのインタビュー取材が実現し、同月10日(水曜日)の『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ平日午後の情報番組)の生中継でのキャンプリポート中に、このインタビューを収録したVTRが放送された[10][11]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB
独立リーグでの投手成績
背番号
脚注
出典
関連項目
外部リンク