|
この項目では、札幌市の地名について説明しています。名古屋市の廃止地名については「水車町 (名古屋市)」をご覧ください。 |
水車町(すいしゃちょう/Suishacho)は、北海道札幌市豊平区にある地名。水車町1丁目から8丁目まであり[3]、郵便番号は062-0912。かつては水車通りと呼ばれた[3][4][5]。
地理
南北800m×東西200mで、ほぼ長方形の町域になっており、おもに住宅地である。隣町の旭町と共に旭水地区を形成する。
札幌市が定める読み方は「すいしゃちょう」であるが、地元住民の間では「すいしゃまち」と呼ばれることが一般的である[6]。日本国内には同じ地名は存在せず、類似の例も京都市左京区の「上高野水車町」のみである[6](ただし地名に「水車」が含まれるケースは、北海道留萌市の「水車の沢」、兵庫県神戸市の「水車新田」など、全国各地に数多く存在する[7])。
歴史
「豊平の歴史」も参照。
開拓時代にはこの地区に官営の製材所があったが、明治20年代に入ると、水車川(豊平川の分流、現在は埋められ、遊歩道になっている)を利用した水車小屋が作られ、精米、製粉などのための動力源として活用されていた[3][4][5][8]。また、同じ頃から、近隣の平岸・中の島・旭町とともに、リンゴの栽培が本格的に行われ、多くの果樹園が作られた[9]。水車川は現在の水車町5丁目の難得神社(難得大龍王)の下手辺りで豊平川から分かれ、水車町公園の横を通り、南7条橋と豊平橋の中間辺りで再び豊平川に合流した[4][9]。
最盛期の大正初期には7、8軒の水車小屋があり、当時札幌市内に供給される米や粉の加工は、全てこの地域で行われていた[4][9]。だが、大正中期に電気の普及が始まると、水車の需要は激減し、1924年(大正13年)までには、水車小屋は完全に姿を消した[4][9]。1962年(昭和37年)に、南大橋が架設されて札幌市街との連絡が至便になると、住宅地化が進み、果樹園の数も減少していった[3][9]。水車川も家庭排水による汚染が進み、1973年(昭和48年)に埋め立てられた[4][9]。かつての河道は遊歩道やサイクリングロードとして残っている[4][8][9]。
行政区分
大正時代まで豊平○番地の名称であったが、昭和に入ると豊平8条~10条の各一部、豊平川岸1~9丁目となる[3]。また、地域の住民には水車通りの通称でも呼ばれるようになった[3]。 1950年(昭和25年)に水車町1~13丁目となる[3]。1979年(昭和54年)1月29日の町名整理により9~13丁目が廃止され、改めて1~8丁目に再編されて現在に至る[3]。
住所
町丁 |
郵便番号
|
水車町1丁目~8丁目 |
062-0912
|
主要道路
施設
- 札幌市立旭小学校(水車町3丁目)
- 札幌市旭小ミニ児童会館(水車町3丁目、旭小学校内)
- 水車町公園(水車町1丁目)
- 旭水会館(水車町6丁目)
- 豊平川神社(水車町6丁目、旭水会館内)
- 難得神社(水車町5丁目)
- イワクラホーム
周辺
交通機関
脚注
- ^ 札幌市 (2017年3月15日). “人口統計”. 札幌市. 2017年3月20日閲覧。
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 1. 2016年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 北海道編・上巻』、764頁。
- ^ a b c d e f g 『読売新聞北海道版』 1978年10月22日付
- ^ a b 『郷土史豊平地区の140年』、51頁。
- ^ a b 『なぜなに 札幌の不思議100』p.30
- ^ 『新日本地名索引』、960頁。
- ^ a b 『なぜなに 札幌の不思議100』p.31
- ^ a b c d e f g 『郷土史豊平地区の140年』、52頁。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 1 北海道』
- 『読売新聞北海道版』 1978年10月22日付「北海道の道 - 札幌・水車通り」
- 枝元政雄編『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』豊平地区郷土史発行委員会
- 金井弘夫編『新日本地名索引』アボック社出版局
- 荒井宏明「路地裏のなぜなに (12) くねくね遊歩道の謎」、『なぜなに 札幌の不思議100』北海道新聞社、2012年2月28日、pp.30 - 31。ISBN 978-4-89453-583-1
外部リンク